2023年10月28日(土)

「開館20周年記念企画 ★ BEST COLLECTION 開高健」を開催中です 

開高健記念館( 神奈川県茅ヶ崎市東海岸南 6 - 6 - 64 )は、2023 年 10月28日(土)から 2024 年 3月31日(日)まで「開館20周年記念企画 ★ BEST COLLECTION 開高健」を開催しております。

【会期】2023年10月28日(土)~ 2024年 3月31日(日)
※ 会期は変更の場合があります。最新情報は当館ウェブサイトでご確認ください。 

【主催・会場】茅ヶ崎市開高健記念館(神奈川県茅ヶ崎市東海岸南 6-6-64)
【交通機関】
 ・JR茅ヶ崎駅南口より約2km。
・東海岸北5丁目バス停より約600m(辻堂駅南口行き 辻02系 辻13系)。
・コミュニティバス 東部循環市立病院線。松が丘コース15番バス停 「 開高健記念館」下車すぐ。
 ・館には普通車 7~8 台の駐車スペースがあります。 

【開館日】毎週、金・土・日曜日の 3日間と祝祭日。 但し、年末年始(12月29日~ 1月3日)は休館
 【開館時間】午前10時~午後5時(最終入場は午後4時30分まで)
【入館料】200円 ※開高記念館と茅ヶ崎ゆかりの人物館の2館共通券は300円 

1974年(昭和49年)末、開高健は本と紙で溢れそうになった杉並の家を離れ、海にほど近い茅ヶ崎市東海岸に仕事場として新たな家を建てました。やがて家族も移り住み、ここが終の棲家となります。多くの日々は書斎にこもり、作家として執筆活動に昼夜問わずに明け暮れましたが、時には健康維持のため近くの水泳教室に通ったり、地元商店会の飲食店の馴染みになったりと、海へと続くラチエン通りに面した家の近所の住民の方々とも親しく交わりました。開高の没後、この旧開高邸は、紆余曲折を経て、茅ヶ崎市開高健記念館として生まれ変わり、本年、おかげさまで開館20周年を迎えます。 

本展は当館の開館20周年を記念して、これまで実施された、のべ約30回にわたる企画展で 展示された当館の収蔵品のなかから、芥川賞受賞作「裸の王様」をはじめ、「ベトナム戦記」「輝ける闇」「夏の闇」「オーパ!」等代表作の直筆原稿や取材資料、愛用品など、貴重な所縁 

の品の数々を選りすぐり、一斉展示することで、作家・開高健の足跡をたどります。この機会に、全国の開高ファンから地元の皆様まで、広く多くの方にその魅力を存分にご堪能いただけますと幸いです。

 ※作品のレイアウトや品目を一部変更する場合があります。 
※写真は家族と茅ヶ崎の家の前で (現:開高健記念館)
1976年(昭和51年)牧羊子(右)、長女道子(左)と 

◉ 開高健記念館20年のあゆみ 

茅ヶ崎市開高健記念館は、2003年(平成15年)4月に開高健が晩年を過ごした邸宅を、その業績や人となりに多くの方々に触れていただくことを目的に記念館として開設されました。ご遺族の意向により、土地建物が茅ヶ崎市に寄贈されたのを機に開高健記念館の管理を茅ヶ崎市が担い、展示と運営を開高健記念会が茅ヶ崎市から受託しています。建物外観と、開高健が名付けた「哲学者の小径」をもつ庭と書斎は往時のままに、邸宅内部の一部を展示コーナーとし、常設展のほか、期間を定めてテーマを設定した企画展示も行っています。本展ではエントランスロビーの壁面一面に、開館以来これまで実施された企画展のチラシを一堂に展示し、20年の足跡を辿ります。 

◉誕生 作家 開高健

開高健は、1930年(昭和5年)大阪市内の寺町に教員の子として生まれました。戦中に父親が死去したことによる幼い頃の窮乏生活は、後のベトナムでの体験に鋭い感覚を与え、また、終生にわたる食への飽くなき関心にも繋がっていきます。開高は家族を養うためにアルバイトをしながら文学を志し、大学時代には同人雑誌にさかんに作品を発表して、文壇進出の足掛かりを掴んでいきました。

1954年(昭和29年)、洋酒メーカー・壽屋(現・サントリー)に縁あって入社、広告コピーの執筆で当時のウイスキーブームの火付け役になり、また、新たな顧客向けに発刊したPR誌「洋酒天国」が大成功を収めて、念願の上京を果たします。
 1957年(昭和32年)、小説「パニック」の発表を皮切りに執筆活動を本格化させ、同年、閉

ざされた心をもつ子供の側に立ち、大人社会と対峙する絵画教師を描いた「裸の王様」を発表、同作で翌年に芥川賞を受賞しました。本章では開高が世に認められたこの時期の作品を中心に、従来の日本文学の枠を打ち破る独自の世界観の一端をご紹介します。

◉ ベトナム戦争と「闇」シリーズ 

芥川賞受賞後の開高は日本ペンクラブ会員として参加していたアジア・アフリカ作家会議の活動で世界各国を駆け巡っていました。60年安保闘争ではデモの先頭に立つなど「行動する作家」として存在感を強めていたものの、実は小説ではスランプに陥りかけていました。そこに舞い込んだのが「週刊朝日」から依頼された連載ルポ「ずばり東京」であり、会話体や擬古文、日記体など、毎回異なる文体を駆使して当時の「多頭多足」の都・東京をとらえた本連載は大好評を博しました。 

さらにその翌年の1965年(昭和40年)、「ずばり東京」が人気を博したことへの一種の「ご褒美」として、本人の希望により許された戦火のベトナム行きにより、開高が命がけで書きおろした戦争ルポ「ベトナム戦記」は同年、同誌に緊急連載され、日本におけるベトナム反戦運動に大きな影響を与えました。また、それらの体験は開高の純文学作品「輝ける闇」(1968年)へと昇華し、やがて、開高自身が「第二の処女作」と称した代表作「夏の闇」(1972年)に結実することになります。本章は、作家としての代表作を通じて、開高におけるベトナム体験の大きさについて考えます。 

◉ 美と快楽 ― 貪欲なまでの探求心 

 1968年(昭和43年)の「私の釣魚大全」を皮切りに、開高は度々水辺に出かけては、多くの釣りに纏わる文学を残しました。1971年刊行の世界釣行記「フィッシュ・オン」は国内にルアー (疑似餌)釣りを普及させ、釣り愛好家が海外をめざす契機となりましたし、自身は「オーパ!」でのアマゾン行きなど、さらなる辺境へと大魚を求めて旅を続けました。 

また、1970年代から、開高はそれらの紀行を通じ、「食」に関するエッセイをさかんに発表するようになります。「最後の晩餐」(1979年)など、食欲という人間の本能的欲求を探求する開高のエッセイは、今も多くの読者を魅了し続けています。本章ではたんに作品の紹介にとどまらず、愛用の釣り具や美酒・美食の体験メモなどを通じ、各国を渡り歩いた開高ならではの貪欲で豊饒な世界を紹介します。 

◉「人」と「物」との出会い ― 開高に愛された静物たち 

 開高はしばしば世界や文学の意味に対する疑いに捕らわれ、鬱々とした気分に沈みこむことがありました。そのような折、開高は自身の手に触れる「物」に確かな実在感を感じ、それらの物に愛着とこだわりをもって接していました。開高にとって、身の回りの品々は自身の身体の一部であり、記憶そのものでした。本章では、主人亡き後の茅ヶ崎にひそやかに眠る、開高健の愛した静物たちにも着眼し、その面影を偲びます。