2025年2月23日(日)

開高健とボジョレー・ヌーヴォーの会(2024年12月)講演レポート

「開高健とボジョレー・ヌーヴォーの会」に谷口博之氏をお迎えしました 


開高健記念会は開高35年目の命日にあたる2024年12月9日、4年ぶりとなる「開高健とボジョレー・ヌーヴォーの会」を東京・日比谷プレスセンター10階の「レストラン アラスカ」で開き、約80人が参加しました。

特別ゲストに『オーパ!』シリーズでおなじみの「谷口教授」こと谷口博之氏を招き、開高をうならせた数々の料理はどのように生まれたか、を講演いただきました。

また、『対馬の海に沈む』(集英社)で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞した窪田新之助氏に対し、開高健記念会から直筆原稿版『夏の闇』を贈呈しました。

谷口氏の講演内容と窪田氏のごあいさつを紹介します。
※本文最後にYouTube動画へのリンクあり

講演会レポート
「食と冒険 〜料理人が見た開高健〜」

谷口博之氏(元・辻調理師専門学校日本料理教授)
聞き手・進行:荻田泰永氏(冒険家)


 

――『オーパ、オーパ!!』の旅に調理人として参加することになった経緯は?

調理師学校で日本料理を教えておりまして、突然、校長から呼ばれて「開高健さんって知ってるか」。魚釣りの本は見てましたので「少し知ってます」と。それが始まりです。東京の集英社へ面接に行けと言われ、教頭先生が連れて行ってくれた。集英社の重役室に、たしか6人いて、開高先生が真ん中にいらっしゃった。しかし、何も面接めいたものはなくて、開高さんの一方通行。「とにかくうまいもん作ってくれ」と、重役の前で先生独特の話が始まる。「絶対けちるな。教授がニューヨークで買い物されたいというならそれも出す、これも出す」ということになって。合格も何もなくて、先生からは「同じ関西人だからずっと大阪弁な」と言われました。調理師学校には大勢の先生がいますので、最初は1人1回で交代でということだったと思うんです。ところが、最初アラスカに行って2度目もアラスカだった。開高先生が「こいつ慣れとるから代えんでもう一回貸して」となった。 

――1982年から1987年の足かけ6年で計8回同行した

学校のみんなも経験したい。でも開高さんは察知したんでしょうね。「辻静雄(校長)に言うといたで」。ありがたいお話で。
 
――最初は米アラスカ州のセントジョージ島だった

16~17人くらいのチームで行った。開高さんに言われたのは「君は世界で唯一の魚を調理するシェフや。全部が終わったら1冊の本にまとめるんや。そういう仕事や」。「先生、食事はどうされるんですか」と言ったら「みんなにジャガイモの皮むきもにんじんの皮むきもさせるから」。されなかったですけど(笑)。私は神戸出身のシティーボーイですから、アウトドアのアも知りませんでした。ものすごく寒いから冷蔵庫がいらなかったんです。全部表において、キツネが食べに来たり。食材は全部そろえないといけない。どれだけ大変か。セスナのピストン貸し切りで30往復です。大量の荷物を持っていってスタッフのブーイングは絶えなかったんですが、島に行ってご飯作り始めたら誰も文句言わなくなりました。 

――開高さんは巨大なオヒョウを狙った

トム・ルーターさんというガイドさんがいまして、開高さんをけしかける。「400キロくらいのが釣れるかもしれない」と。開高さんは縁側を楽しみにしてました。ところが釣れたら縁側が少ないんです。縁側はひれで、常に動いて発達するんですが、オヒョウは体が大きくて寒い海のなかで沈んだまま。開高さんが横に寝そべると背がほぼ同じ。170センチくらい。当時この島に、はかりがなかったので重さはわかりません。推定70キロくらいではないか。

(同行カメラマンの)高橋昇さんは月光が大好きなんですよ。夕日が沈むときに浜辺で姿作りにしたやつを撮りたいと。要求がすごい。器がないので扉に盛りつけた。この島の周りは昆布だらけなので昆布じめもしたんですけど、オヒョウは自己崩壊が早くて柔らかい。おろしてすぐ造りにすると歯触りがあるんですが、時間がたっていくと指がめり込んでいく。運動してないからブヨブヨの状態。握り、酢じめもやりました。イタリア、ビシソワーズ、まあ、ようけ作りました。開高さんは必ず全部召し上がります。「はい出来ました」とお持ちすると、すぐスタッフに話をやめさせる。「静かにせい」「説明して」ということを徹底される。料理人にとっては最高にうれしい。

――開高さんには奇跡が起きることが多い

仕事がうまく進んでいないときって皆がすごく荒れてくる。それをなだめるのが食事です。開高さんは本当にお気遣いなさって指図されるんですよ。セントジョージもモンゴルもそうです。釣れない、明日帰らないといけない、どないすんねんと、みんな焦ってくる。そんなときにおっしゃるのは「読者は人の不幸は蜜の味がするんじゃ。全部釣れない。何もなかった。まったく無理だった。これもいいね」。そう言ったら次の日釣れたんですけど。ここだけの話ですけど開高さんがベロベロになったときなんです。釣れない、気も遣う。そうするとスーパードライマティーニ飲んだろか、ゴクゴクゴクと。二日酔いで目をこすりながら行く。私、音楽を持って行ってましてね、いつも出発前に行進曲をかける。テントでも宿舎でも。そしたら開高さんは(腕を上や横に延ばす)ロボコップみたいなことされて出陣されるんです。タバコはセーラムのライトからラッキーストライクアゲインにかえて。スイッチでしょうね。

――モンゴルにも行った


北京からウランバートルまで汽車で36時間。その車中は昔の寝台特急のような感じです。ベッドがあって椅子になって。開高さんも「頭が腐ったみたいに寝られるな」と喜んでいました。食堂車に行くのがお楽しみだったんですが、中国からモンゴルに入ったら全部食堂車が変わるんです。国境で線路の幅が変わるんで車両を全部入れ替えるんです。北京を出る時は車内の北京鍋で火をおこしてて、怖いですよ。いつ火事になるか分からない。ビールを置いてるんですけど常温ですから、先生は「馬のションベンでも飲むか」とおっしゃってた。モンゴルに入るととたんに普通のスープ。モンゴル人のシェフになってスタッフも入れ替わる。そういう時代でしたね。

 

――モンゴルでは何を狙ったのか

イトウです。日本ではほとんど難しいですが。2回ともイトウですがイトウが釣れない1回目はパイクを釣りに行きました。最後にはイトウが釣れました。本当に最後ですよ。あとでヤラセと言われたらしいですよ。モンゴルで食べたのは、魚はイトウとパイクですけど、ピロシキみたいなものもあった。おいしいものじゃない。羊ばかり。匂いがきついですからね。私たちはヤクを購入して、解体してもらったのをゲルの前にぶら下げていた記憶があります。モンゴルが一番過酷ですよ。

――食べたことのない食材を調理するときは

コスタリカでイグアナとか、ヘビとか、やったことのないものばかりですから。とりあえずはゆでて塩でもつけて食べてみると、だいたいわかる。それからどうしようかと考える。先生はものすごく美しい要求をされるんですよ。「アラスカのオーロラが出ている下で氷に穴を掘って魚を釣ったやつを七輪で焼いて食うかな」と、ロケーションまで指定される。「モンゴルのゴビ砂漠でそうめんの冷たいやつを食べる」とか。先生はお餅が大好きな方ですので、カリフォルニアだったら磯辺巻きでのりまいてしょうゆつけて。それと1日1回は麺を食べないとアカンておっしゃって。ゆでる水の確保は大変です。かならず煮沸消毒してから使う。アラスカ、モンゴルはバケツを持って断崖絶壁をおりて上がってくる。先生はご自分で器も洗いますよ。洗剤は絶対使わない。川を痛めるので。その辺の砂や土で洗ってきれで拭いてました。

最初の頃は刺し身包丁、出刃包丁、ふつうの包丁、砥石、ありとあらゆるものを持っていって、店が1軒できるほどだったんですが、減っていきましたね。最後は現地調達。包丁なんかは(刃がしなる)フィレッティング・ナイフをぶら下げて、あとはアーミーナイフを持って。洗面器使うとか。

――開高さんから教わって役立ったことは


「心に通じる道は胃を通る」という開高さんの十八番がある。どこの国に入ってもまずパーティーをされるんです。村長さんとか現地の方を呼んで、私が料理を作って出すんです。すると次の日からだいたい対応が変わるんです。セントジョージだったら断崖絶壁から幻の鳥の卵をとってきて「これを目玉焼きで食べてみろ」とかいうのが始まるんです。すごいなと思って。どこでもやられるんです。作って喜んでもらえたらこっちもうれしい。最初は寿司とか考えますがそんなもの現地の方は食べられませんよ。天ぷらや串カツにして、とんかつソースかけるととたんに変わるんですよ。日本料理としてのプライドは傷つきますけど。天ぷら、串カツはどこの国でも間違いない。おすましなんてとんでもない(笑)。

――開高さんは料理をどのように食べたか

とにかく集中的に召し上がる。たとえばロサンゼルスに行ったら「ローリーズ」っていうローストビーフの有名な店があるんです。5日いたら5日とも行く。アラスカでは「教授な、キングサーモン釣れたらイクラ出して醤油漬けして瓶詰めにして雑誌なんかに配るんや」。実際はできませんでしたけど。そういう発想がすごく早い。いつも「餌はあかんぞ」。難しいんですよ。「朝露の一滴にも天と地が映っている」とか、そんなこと僕らみたいなボンクラに言ってもどうしたらいいかわからない。答えはいつもいただけないんです。そこから考える。暇なときはいつも夜寝る前にマッサージをしてお話してました。私、(開高の娘)道子さんと同い年。ひょっとしたら、おこがましいけど息子っていう感じやったんかなとか。

大阪へお忍びで来られることがあって、だいたいリーガロイヤルホテルに泊まる。電話かけてきて「おまえ何してんねん。きょうお忍びや、どこか連れて行ってくれ」。ホテルのバーで待ち合わせをして、ちょうど北新地で開店したばかりのおでん屋へ。先生はいきなり「さえずりちょうだい」。鯨のベロですね。それを食ったら「5人前追加」。そのあとも何回も行かれていたみたいです。9席の小さな店ですから周りの方はみんな開高さんと分かってたみたいです。

おせちも4年届けていたことがあるんです。先生から家によく電話がかかってくるんです。子どもたちは小さかったから、「よれよれの開高です」とかかってくると「よれよれさんから電話」って。で、出たら「何してんねん」。世間話です。あるとき「俺は年末(12月30日)に生まれて、誕生日の前後は大掃除と正月前とで忘れられてんねん。祝ってもらったことがない」と愚痴が始まりましてね。それで「僕がこれからおせち作って届けます」って4年届けた。仕事納めのあと学校でつくって一番の新幹線で。立ち席しかないけど茅ヶ崎の自宅まで自分で持っていきました。

――谷口さんにとってオーパの旅とは

私の財産ですよ。先生と知り合えたから今でもこんな仕事させてもらえている。そのまま定年になってたら、よたよたのただのおじいです。先生はその土地のもので料理をつくるとすごく喜ばれた。なんでも研究のテーマにする。フルーツのときもデザートのときもあった。カリフォルニアではジュースの研究ですわ。徹底的に、先生は飽きるまでやる。本当にイヤになるまで食べる。最後に飽きて終わる。だからあんな文章がかけるんちゃいますか。全部何でも食べる。「お前も俺にだんだん似てきたな」と言われたのはうれしいですよ。あとね、「本を5万冊ほど読みなさい」。それが最後の言葉。それを今でも覚えています。亡くなって35年たってなんて思っていません。

谷口 博之 (1952年生まれ)

1972年辻󠄀調理師学校(現 辻󠄀調理師専門学校)入学。1973年卒業後、日本料理教員として同校に入職し、日本料理の研究と後進の指導にあたる。1982~1987年、開高健氏の「オーパ!オーパ!」の旅に、料理人として参加、海外取材に同行。開高氏との旅で作った料理を綴った『開高健先生と、オーパ!旅の特別料理』(集英社)や、『関西風おかず』(新潮社)などの料理本の制作協力、TBS「料理天国」、NHK「きょうの料理」などメディア出演多数。日本各地で講演もおこなう。2018年退職。


聞き手・進行
荻田 泰永(1977年生まれ)

北極冒険家。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年までの20年間に16回の北極行を経験し、北極圏各地をおよそ10,000km移動してきた。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外のメディアからも注目される。日本唯一の「北極冒険家」

 

第22回 開高健ノンフィクション賞

『対馬の海に沈む』

窪田 新之助氏による受賞のごあいさつ


先月15日に贈賞式がありまして1か月たっていない。この間、開高健さんの名を冠した賞をいただいたということでしみじみ感じることが多くある。その一つを紹介したい。

山梨の清里に元編集者の知人が住んでいまして、その自宅の庭に姫リンゴの木が植えてある。私が妻と結婚したとき植樹しまして、以後私が面倒をみなくてはいけなくなった。この間おたずねしたときに姫リンゴの木をみながらこんな話を聞いた。昔奥只見の銀山湖に碑を建てるときに関係したみたいで、釣り竿をもって糸をたらしたところ針がひっかかった。とるために竿を岩に差したが糸がみあたらない。どうしたんだろうと釣り竿を置いたところに戻ると釣り竿もなくなっている。それで夜話題になって、開高さんが持っていったんだろうという話になって盛り上がったそうです。賞を取ったことでいろんな方が、実は自分は開高さんのファンだったという方がどんどん現れまして、開高さんの名を冠した賞をいただいた縁、重みを感じています。

 

今回の本はある意味で告発する本です。実名で告発している、多くの方を告発しているということであまり見ない本だなと言われます。確かに対馬の農協だけでなく多くの方の名前をもって告発するのは珍しいと思う。12月5日に発売して、本来ですとほっとする、安心するが、ここからが大変だなと。どういう反応があるか緊張の面持ちで日々過ごしています。まだ出たばかりまだ読まれていない方もいると思いますが、自分でも面白くなっていると思いますのでぜひお手にとっていただければと思います。

窪田 新之助

1978年、北九州市生まれ。日本農業新聞で国内外の農政や農業生産の現場を取材し、2012年よりフリーに。著書に『農協の闇(くらやみ)』(講談社現代新書)、『誰が農業を殺すのか』(共著、新潮新書)など。 

開高健とボジョレー・ヌーヴォーの会
谷口博之氏の「食と冒険」講演をYouTubeでもご覧いただけます。