episode.55
「生きる歓び」(「第八章 愉しみと日々」キャプション/『オーパ!』より)
ブラジル・アマゾン河口の街・ベレンの市場でのカットを集めた見開きページにつけられた小見出しふうキャプション。魚やニワトリ、バナナ、ピメンタ(トウガラシ)、主食のマンジョッカ(タロイモ)や名前もわからない果実・柑橘、サンダルやシャツの山……。パンをかかえた少女の笑顔、魚店主のニンマリ顔。ひとびとの生活の諸相があふれんばかり。アマゾン釣り紀行『オーパ!』の世界は釣り・冒険だけでなく「歓び」にもあふれていて、文章も写真も明るい。この旅には「戦争の影」がなかったためではないか、と感じてしまう。(菊)
写真はオビの付いたままの初版単行本。この大判写真集のカバーに、開高健の写真でなく、黒ピラニアのドアップを選んだデザイナーの勇気!
episode.54
「教室の議論はどこを切っても円周ばかりだが、工員たちの猥談はまざまざと女の声や、ふるえや、肉の重さや、暮らしの痛苦を果敢にはねのける切実なほとばしりにみたされているのである。どこを切っても中心しかないのである。円周がどこにもない。」(「戦中も戦後も端境期の世代」/『頁の背後(全)』収録)
学校の優等生ながら苦学生でもあった開高はアルバイト先の町工場で庶民の声に触れ、人生のリアルを感じとった。もし開高家が裕福であれば、開高文学は違うものになっていたかもしれない。この本は「開高健全作品」(新潮社、全12巻)と「開高健全ノンフィクション」(文芸春秋、全5巻)の各巻末用に書き下ろされていたエッセイを集めた1冊。(池)
写真の単行本『頁の背後(全)』は開高健記念会の特別編集(2021年)。茅ケ崎の開高健記念館か記念会HPからしか手にはいりません。
episode.53
「この二年間に書いてきたものは、創作メモの欄外余白にあるものだった。それは私の小説のために使うイメージが元金とすれば、そこから分泌された利息みたいなものである。その利息がここで尽きた。」/(「橋の下をたくさんの水が流れた」より/『開口閉口』収録)
週刊誌「サンデー毎日」の連載をまとめたエッセイ集。最後の一編で、連載を終える理由を説明した。開高にとってエッセイは、本業の小説にそなえたシャドー・ボクシングだった。それでも、どれもメチャメチャ面白いのが開高の開高たるゆえんなのだが。(池)
写真の単行本は1976、1977年刊だが、連載開始は1975年、開高が茅ケ崎の仕事場(いまの開高健記念館)で、念願だった一人住まいをはじめて「まだ月単位でかぞえたほうがいい」頃らしい。
episode.52
「これまでに何百万回、世界のあちらこちらで書かれたことかと思うが、それでもやっぱり、ギリシャの海は青い、と書く。空が水になったようである。朝、昼、夕方と、時刻によってそれぞれ色も輝きも変り、一日がゆっくりと発芽し、熟し、果てていくままに海も呼応して顔を変えていく。」(「ヒドラ島の沖でたった一匹ツノザメを釣ること」より/『フィッシュ・オン』)
開高2度目となるギリシャのこと、釣りが不作であっただけでなく、「ギリシャ旅行のいたましさ」と書いている。古代ギリシャの輝かしいイメージとの落差を感じてしまったのだろうか。つい、それにつづくエーゲ海のこの意地をはったような描写を引用してしまいたくなる。(菊)
写真の単行本『フィッシュ・オン』(1971年刊)のあとがきにはないが、新潮文庫版(1974年刊)に「釣師はホラを吹く癖がある。それも釣技のうちにいれていいのではあるまいかと思われる。」なんて、ちょっと言い訳じみた文言が……。単行本「あとがき」では、雑誌連載時にあったビアフラ戦争などの個所を別の本にまわした理由に短くふれているだけ。
episode.51
「ある夕方、せかせかとミナミの千日前をとおりかかると、焼けのこりのビルの一室でふいにシンバルを一撃する者があった。ジャズの練習をはじめたらしく、つづいてトランペットが高く長くいななき、ドラムが二撃、三撃、底深く咽喉声(のどごえ)で唸(うな)った。しかし、最初のシンバルの一撃の瞬間に、怒り、決意、歓(よろこ)び、昂揚(こうよう)のすべてがこめられていた。その響きは身ぶるいして炸裂(さくれつ)し、すべての事物を打撃しつつ荒野をわたっていき、ふりかえると夕陽がふるえたかのようであった。光景が音そのものに変るのをこのときはじめて経験した。」(『破れた繭 耳の物語1』より)
開高健30代なかばに書いた半自伝的小説『青い月曜日』と、その20年後、「耳に記憶だけで書く」と宣言してはじめた回顧的な連載小説「耳の物語」。重なるエピソードもあるがまったくちがう文章になっている。このシンバルの一節は前者にはない。(菊)
写真は「没後30年」を期に出た岩波文庫版「1」「2」。
episode.50
「この都には、うまく説明できないけれど、何となく愛するか憎むか、二つのうちどちらかだ、といいたくなることがあった。タマリンドの鬱蒼とした並木道に射す朝の日光のたわむれか。チュ・ドー通りの冷めたい眼つきの主人が佇んでいるブーティクの飾窓にあるフランス香水の瓶の燦(きら)めきか。ショロンの町角の屋台で食べるヒヨコの入ったゆで卵“ビトロン”の味か。プラスチック爆弾で吹きとばされた酒場のコンガイ(娼婦)のハイヒールをはいたままの太腿の裂け口か。たえまない頭痛か歯痛のような武装ヘリコプターや偵察機の旋回音か。それとも阿片か。」(「洗面器の唄」より/『歩く影たち』所収)
サイゴン(現ホーチミン)には十年間のうち三度訪れ、そのたびに数ヵ月、仮住まいしたと書いている。最後の訪問は1975年サイゴン陥落のさらに2年も前。だが、本人には「これが最後」という意識があったらしく、5ヵ月の滞在となった。(菊)
写真は濃密な旅の短編集『歩く影たち』をまるごと収録した文庫(集英社 2020年刊)。
episode.49
「見ていると父はボートを右にまわし、左にまわしして操りながら、子にたえまなく声をかけ、注意し、はげましてやるが、けっして助けてやろうとはしない。それが援助である。自分でかけた魚は自分であげなければいけないのだ。着手したらさいご一人でたたかえ。やりぬけ。完成しろ。夢中になって竿にしがみついている子と、たえまなく声を発する父と、二人を乗せてボートは水と大魚にひかれて下流に流れていった。」(「キング・サーモン村のキング・サーモン・インに泊ってキング・サーモンを釣ること」より/『フィッシュ・オン』)
はじめてのアラスカの川で、釣りのリールを巻きながら目にした光景。「子は生涯今日を忘れないであろう。」と続けている。この書き手の釣り師・観察者である開高健が、早くに父を亡くした子であったことを知ると、文章がまた格別の色合いをおびる気がする。(菊)
『フィッシュ・オン』は現在も、秋元写真多数の新潮文庫で出ている。大判で見たい読者はきっと多いだろう。
episode.48
「遠いけれどあざやかでなつかしい記憶がよみがえる瞬間にはそれにつれてさまざまなものが同時にまるで子ネズミの群れのようにつぎからつぎへとあふれだしてくる。アセチレンの刺すような匂いをかぎつつ屋台で一コまた一コとタコ焼きを頬ばっているうちにチョボ焼きのことを思いだした彼はぼんやりとなった。」(『新しい天体』)
読点なしで一気につなげた文章自体、記憶が数珠つなぎに呼び起こされる様を表現していると思う。タコ焼きを食べてチョボ焼きを思い出し、また別の食べ物につながっていく。意味は違うが、「食物連鎖」という言葉が頭に浮かんだ。(池)
写真のタイトルわきの文言「新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」(サヴァラン『美味礼賛』)は本の題辞にあたるもので、開高健にしか書けないこの「食味探訪」小説のタイトルの由来と展望がみえる。
episode.47
「近年私はとみに記憶力が減退し、昔はおぼえすぎて苦しんだのに、あべこべとなり、忘れすぎて困るようになってきた。歌をうたうことも少くなったが、たまたま何かのはずみにうたってみると、あちこちに空白ができて立往生してしまう。」(焼跡闇市の唄)より/『白昼の白想』)
洋曲が好きだった開高健、41歳のときのエッセイ。若いころ乏しいふところで観まくった外国映画や、借りたレコードやらで棒暗記、丸覚えしたドイツ語、フランス語、英語などの歌のことにふれている。歌だけのことではなく「昔はおぼえすぎて苦しんだ」という一句には苦いリアリティーもありそうだ。(菊)
写真の単行本には「開高健・エッセイ・ 1967-78」というサブタイトルが。1979年初版で、すばらしく面白いのにどういうわけか文庫になったことがない(一部エッセイ選集には採られているものはある)。
episode.46
〈川のなかの一本の杭と化したが、絶域の水の冷めたさに声もだせない。芸術は忍耐を要求するんだ〉
(「キング・サーモン村のキング・サーモン・インに泊ってキング・サーモンを釣ること」より/『フィッシュ・オン』所収)
『フィッシュ・オン』(写真・秋元啓一)のアラスカ篇、冒頭部分の、川に立ちこむ開高の後ろ姿をとらえた写真につけられたキャプション。この一句にしびれてアラスカにわたった釣り師はものすごく多いはず。(菊)
写真は秋元さんの四十九日に、葬儀に参列した者に返礼された『フィッシュ・オン』復刻版(第二刷)にはさみこまれていた一文。葬儀のときに開高健が読んだ弔辞とは別のものだが、開高の手になる。
episode.45
「目がさめたら夜だった、というような起きかたはしたくない。ただそれだけのことだが、不意をうたれたような気持がする。目をあけた瞬間、どういう姿勢をとってよいのかわからない。いつも、ひどく薄気味わるいかんじがする。どうしても午後に眠る必要があるのなら、まだ昼の気配がいくらかのこっているような夕暮れに目をさまして体のなかへすこしずつ夜が入ってくるのを待ちうけることのできるような時刻に待機できるよう、あらかじめ計算をしてから枕に頭をおとしたい。」(「屋根裏の独白」より/『開高健全集第3巻』収録)
この短編の主人公は14歳で父を失った青年。食うや食わずの貧しい暮らしのなか、何者かになろうともがく。12歳で父を亡くした開高自身の苦しい経験を反映しているようでもある。(蛇足。作品には描かれていないが、主人公のモデルはその後、世界にその名をとどろかせることになる)(池)
世界史上最悪級の人物の若き内面に、おのれの想像力だけで迫ろうとした、小説家に成りたての作家のすがた。写真は新潮社から出た全集、「屋根裏の独白」収録巻。
episode.44
「氷がうごきだした。独楽(こま)がまわりはじめた。」(「第一章 神の小さな土地」より/『オーパ!』)
開高健のアマゾン紀行『オーパ!』の第1章、この冒険の計画がうごきはじめた瞬間のことをこう書いている。熱帯の釣りについての記述なので「水がうごきだした。」と読んでしまうかもしれないが、単行本でも文庫でも「氷」となっていて、開高の直筆原稿でもそうなっている。流氷がうごきだした→春が来た→漁の季節がはじまった──。この表現を開高さんは盟友である北海道の釣り師から教わっていて、このワクワクする瞬間につかったのだとおもいたい。(菊)
写真は『直筆原稿版 オーパ!』(集英社刊)より、当該箇所。
episode.43
「私たちはそろってチャシュメンを食べにいくこととした。」(「姿なき狙撃者! ジャングル戦」より/『ベトナム戦記』)
開高健とカメラの秋元啓一はベトコンと南ベトナム軍の壮絶なジャングル戦に従軍し、危ういところで生還した。そのことを書いたクライマックスといえる章の最後に、1行あけてこの文言が置かれている。食いしん坊・開高の面目躍如? いや、戦死者・負傷者多数だったこの敗走戦を、英字新聞がさほどではなかったかのように書いている記事が直前に引用されてあり、実態を見ない報道に対する痛烈な皮肉をあらわすために選び抜かれた1行ではなかろうか。「そろってチャシュメン」だもんな。(菊)
写真は2021年に出た新装版『ベトナム戦記』(朝日文庫)。「週刊朝日」に連載された元原稿の「ベトナム戦記」にこのチャシュメンの文言はない。
episode.42
「父を疑え、母を疑え。師を疑え、人を疑え。しかし疑う己れを疑うな。」(「二二歳はどん底だった」より/『一言半句の戦場』所収)
「インドの古い言葉」として就職情報誌のインタビューの最後に引いている言葉。出典はわからないが、媒体と読者を考えると、開高流のひねりとか創作とか励ましがはいっているのかも知れない。(菊)
写真は開高健の没後に出た大部の「最後の新刊!」。エッセイ、コラム、聞き書き、対談など内容は多様で、語り下ろしも多いが、単行本初出がほとんど。オビには「ひとつの時代を築き、忘れがたい哄笑を遺して去った作家、没後20年。甦る! あのユーモア、切れ味、洞察、人間味!」とある。立木義弘氏の開高写真も多数。
episode.41
「料理店へ行ってカツレツをおごってもらった。ヒマワリの種子の油で揚げたものである。しこたま食べたら、翌日になって、真っ黒の、やわらかい、べたべたした、たよりないくせに熱くて油っこいという妙なウンコがでた。わたしの経験によると、こういうのがでるようになると、いよいよ体が“日本”を離れて本格的に“外遊”がはじまったというきざしなのである。」(「地球はグラスのふちを回る」/『地球はグラスのふちをまわる』収録)
「腸にポンとヴィザのハンコをおしてもらった証拠だと思えばよろしい」とも。海外経験豊富な開高のエッセイは、実践的なガイドブックとしても頼りになる。(池)
写真はいまも版を重ねている新潮文庫。これの単行本はそもそも存在しない。
episode.40
「教室では数学は計算としか教えられなかったが、自身でやってみるとイメージの遊びであるらしいと感じられた。豆ランプの灯で英語の辞書を繰って単語の身元調べをしたり、数式をほどいたり、蒸溜したりしていると、シャーロック・ホームズのような名探偵になれた気分に、ひとりで酔うことができた。教室に出るのはそれらを解読するための基礎知識とヒントを得るためだけといっても、過言ではなかった。」(『破れた繭 耳の物語*』)
開高は生涯いろんなかたちでじぶんの少年時代にふれているが、勉強をじぶん流の娯楽として楽しんでいた気配。見る角度を少し変えるだけで、何げない日常も詩にかえてしまう小説家の本能がこんなところにもうかがえる。(池)
半自伝的長編「耳の物語」の前半『破れた繭』の新潮文庫版(下は後半『夜と陽炎』)。それぞれのタイトルの「詩心」をあらためておもう。
episode.39
「喜劇。悲劇。西部劇。家庭劇。笑劇。ミュージカル。マンガ。探検。戦争。記録。看板を見て私はそのときどきどれだけの気力がのこっているかを測ってから闇に入っていく。そして科白(せりふ)やシーンのちょっとしたきっかけにそよいでたちあがってしまい、またつぎの館へせかせかと入っていく。顔の見えない人びとの溜息、笑い、舌うち、声になりきらない嘲(あざけ)り、発作としての哄笑、それぞれのいくらかずつを破片として私は吸収し、科白や、視線や、光景の手のつけようのない玩具箱となって穢(よご)れた舗道を歩いていく。」(『夏の闇』より)
「映画は私の大事な趣味です。趣味は趣味として取っておきたい」と開高健は言っていた。その「趣味」について、大事な仕事(長編小説)のなかで、映画館にはいる自分をこんなふうに書いている。趣味、とだけではとても言い表せないものの様だった。(池)
初代単行本『夏の闇』のオビに著者は、「四十歳のにがい記念として書いた。この作品で私は変わった。」と書いた。(手書きの「PART II」については「折々の開高健 12」をご参照ください)
episode.38
「旅に出て人と事物を観察し、書斎にもどって心と言葉を観察する。たえまなく揺れてさだまらない心にそそのかされ、それを追ったり追われたり、“歩く”と“書く”の両極をあわただしく往復するうちに時の大河をうかうかと下(くだ)ってしまう。」(「超薄型の、蓋付の、懐中時計はいいもんだ」より/『生物(いきもの)としての静物』所収)
「精選して使いこんだ小さな物たちを通して旅と冒険の記憶を綴った、名エッセイ集」(復刊単行本のオビ)から、懐中時計愛を書いたなかの一節。旅と書くこと。旅と書斎。この連載エッセイを開始する際、開高さんは「この連載には一人称“私”は使わない」と宣言した。従来のとは画期的にちがうエッセイの書き方らしかった。今時のブログなんかのつぶやきと似ている気もするが、やはり何かが決定的にちがうような。(菊)
写真は復刊された単行本『生物としての静物』(河出書房新社刊)。
episode.37
「どこかで音楽が鳴っている。 眼をさますと汗にまみれて寒冷紗(かんれいしゃ)の蚊帳のなかにころがっていた。ゴザ一枚の床几(しょうぎ)に寝たので背が痛かった。鎧窓から小川のような日光が流れこんで、傷だらけの床に射している。くたびれきった蚊帳にもキラキラと斑点が踊っている。時計を見ると八時である。夜が明けて一時間にしかならない。」(「第一章 魔法の魚の水」/『渚から来るもの』より)
『輝ける闇』の祖型といわれる長篇小説の冒頭。ともに語り手の「私」が目覚めるところから始まる。この作品ではベトナムを思わせる架空の国・アゴネシアの首都。『輝ける闇』では南ベトナム軍の前線テント内のベッド、夕方。同一の取材体験をもとに練りあげられた、ふたつの物語の語り出しにシビレる。(菊)
写真は『輝ける闇』の出版12年後に出された単行本。文庫にもなったが「開高健全集」(新潮社)には収録されていない。
episode.36
「おばさんはたのもしく声をたてて笑い、どこかで声がしたのでハイ、ハイといって、チョコマカとそちらへ小走りに走っていった。小さなその後ろ姿は仕事をするのがたのしくてならないといっているようであった。見ているとのびのびして体があたたかくなってくるようなのだ。なぜこのウナギの寝床のような店がギッシリみっちりと客でいっぱいなのか、彼はわかったような気がした。」(『新しい天体』)
味は材料で決まるものではない。おばさんの笑顔が、おいしい空間を作っている。引用にある「彼」は”相対的景気調査官”なる架空官僚。『新しい天体』は、私(筆者)が「彼」の行動を通して描く小説スタイルの食ルポ+。(池)
写真のタイトル下の文言も見のがせない。
episode.35
「蔡の厳選したこの果実をサンパンの舳(へさき)にころがし、もしそれが風上であると、一晩じゅうたえまなく微風、軟風のたびに香りが流れ、きれぎれながらいつまでもつづく。豊熟の一歩手前のこの果実はむんむんと芳烈な香りのさなかにくっきりと爽涼をも含み、まるで細い、冷たい渓流が流れるようなのだ。」(「貝塚をつくる」/『開高健短篇選』収録)
ベトナム、釣り、グルメ……。短編小説「貝塚をつくる」には開高の魅力が詰めこまれている。この場面で取り上げられたのは東南アジア名物「ドリアン」。強烈な匂いで最初は腰を引いてしまうが、慣れると懐かしくなる。「芳烈」と「爽涼」が共存しているからだと、開高が教えてくれた。(池)
「貝塚をつくる」は現在、写真のふたつの文庫に収録されている。
episode.34
「発電機やボンベや水洗便器のたどった旅路を私はぼんやりと考える。それらはすべて地雷でズタズタの十三号国道を輸送大隊によってはこばれたにちがいないのである。軍用トラックに積みこまれ、前後をタンクや武器輸送車に防衛されてはこばれたにちがいないのである。あの国道は《死の十三号道路》という異名がついていて、フランス軍がたたかっていた頃から有名な道路なのである。誰か待伏せに出会って便器のために命を流してしまった者がいるのではあるまいか。」(『輝ける闇』)
イラク戦争のとき、トラック運転手として現地で働いたことのあるフィリピン人男性に話を聞いた。武装勢力に襲われ、一緒にいた警備員は殺されたという。でも危険な分、稼ぎは地元よりずっといい。「仕事は家族を養うため。仕方ないね」。そう言って肩をすくめた。(池)
写真は初代単行本『輝ける闇』。開高自ら書いたオビ文がすごい。
episode.33
「この古い、朽ちた、華やかな石の街には森のような夜が訪れる。たえまなく遠くに潮騒のような自動車の流れる音がひびいているが、部屋のなかでは凍てた夜が肉を切って骨までひびく。ときどき獣が鋭い叫び声をたてるのは、自動車が街角で急カーブを切るきしりであった。マロニエの枯葉一枚、一枚にも人の指紋がついているかと思えるこの街に、ジャングルのような夜が沈んでいる。」(「タケシのパリ」より/『あぁ。二十五年。』所収)
若い開高に「ジャングル」を感じさせた街、パリ。当時の日本青年にとって文学と芸術と食の憧れだったこの街を初めて訪れたのは、開高2度目の海外、29歳のときだった。「街に留学した」つもりもあったらしく、高揚そのものの文章をたくさん残している。(菊)
写真は、開高が残したパリについてのエッセイ類から再編集した単行本『開高健のパリ』(生誕90年記念刊)。
episode.32
「なにしろ初めて外国へ行ったとき、私はすでに世帯があり子供があり、世間知も積み、サラリーマン生活もやり、いろいろな垢(あか)がついてしまっていた。だから、長い間、憧れていたパリへ行って、キャフェの椅子にもたれて若い女の子のスカートが揺れるのを眺めてても、そのスカートの奥がどうなってて、何があって、それに手を伸ばしたらどうなるか、頭で先に組みたててしまう。ちっとも面白くない。やっぱり旅というのは、若くて貧しくて、心が飢え、感覚がみずみずしいときにすべきなんだと、つくづく思わせられたな。」(「旅は男の船であり、港である」より/『地球はグラスのふちを回る』)
単行本未収録エッセイをおもに集めた、いまでも版を重ねる新潮文庫。この1篇が若い男性読者向けの語り下ろしと知りつつ、その“らしさ”に脱帽する。「スカートの奥」うんぬんは本音か、ジョークか、韜晦か、それ全部か?(菊)
episode.31
「いくらか酔った眼で眺めると、唐辛子のように怒ってばかりいる女が、自身は一滴も飲まないか、カナリアのようにすするだけで、あとは男たちがたわいもなく叫びかわす光景を面白そうに眼を輝かせて眺めているだけという姿態には、日頃の青酸ッぱいトゲトゲとはうらはらの“女”ッぽさがあって、そんなことは眼のすみにひっかかる一瞬の光景なのだが、それゆえにいよいよ酔わせられた。」『破れた繭 *耳の物語』)
幼少期から学生時代までを描いた、自伝的小説の前半。この場面では、のちに妻となる詩人・牧羊子と出会い、惹かれてゆくプロセスを自ら腑分けした。ギャップに萌え、ドキドキする青春が文豪にもあった。(池)
写真は初代の『破れた繭』と後半『夜と陽炎』の単行本(1986年)。雑誌連載時のタイトルは「耳の物語」。
episode.30
「ある朝遅く、どこかの首都で眼がさめると、栄光の絶頂にもいず、大きな褐色のカブト虫にもなっていないけれど、帰国の決心がついているのを発見する。」(「玉、砕ける」/『歩く影たち』所収)
この旅の名短篇の、この書き出しの1行を最初に読んだときのことは忘れない。誰か英国の大詩人と、カフカの変身、の匂い? 「帰国の決心」をするような旅をしたことがないなあと思った。いつもどこかホッとしながら、帰ってきた。(菊)
episode.29
「驚くことを忘れたこの時代に驚くことの切実さを知らされた。心は淋しき狩人である。驚くことを求めてさまよい歩く。驚くことを忘れた心は窓のない部屋に似ていはしまいか。」(「オーパ!」幻の前書き より/直筆原稿版『オーパ!』)
アマゾン紀行『オーパ!』連載初回に開高が書いてくれた前書き。ボツにしてしまった。単行本では開高さんがみずから伝説的なリードに書きなおしてくれた。開高健の文章には、その「心の部屋」に風の窓をあけてくれるようなところがあるとおもう。(菊)
写真は開高健没後20年を期して出た直筆原稿そのものを本にした版。
episode.28
「革命、反革命、不革命。革命者は、反革命者に殺される。反革命者は革命者に殺される。不革命者は、あるいは革命者だと思われて反革命者に殺され、あるいは反革命者だと思われて革命者に殺され、あるいは何ものでもないというので革命者または反革命者に殺される。」(「岸辺の祭り」/『歩く影たち』所収)
ベトナム戦の取材体験から醸成した短編小説9篇からなる単行本『歩く影たち』(1979年)。「革命」はより良きものへ向かう動きととらえられていた、あるいはそう信じられていた時代、小説家の屈折した、でも今に通じるかもしれないつぶやき。(菊)
episode.27
「屋台物というのはそのような本にはなかなか掲載されていないのである。そこで彼は、食べにいった屋台のおっさんにそれとなくつぎにはどこへいって何を食べるべきかを聞きだすようにつとめた。」(『新しい天体』)
まるで、犯人の影を追って聞き込みを続ける刑事のように食を追いかける。ルポルタージュの名手だった開高の手法を垣間見るようでもある。(池)
episode.26
「私はしどろもどろになるのを必死になっておさえ、ゆっくりと微笑した。きっと眼がいやらしく鋭く光り、微笑は頬をひきつったように歪(ゆが)めたことであろう。少女が心臓麻痺を起して死んでしまえばいいと思った。
『あなたの英語はすばらしいですね』
私はびっしょり汗ばみながらいった。
少女は口のなかで、ぼんやりと
『……いえ、そんな』
とつぶやいた。」(「らいられら」/『青い月曜日』より)
バイトで飛び込んだ英会話学校。じぶんが昨日おぼえたばかりの英会話を今日生徒に教える日々。ある日、帰国子女の娘が流ちょうな英語で質問してきた。その英語が「爪のさきほども」わからなかった「私」の狼狽と、その窮地脱出の妙。(菊)
写真は初代単行本と最近の文庫本『青い月曜日』。
episode.25
「すべての橋は詩を発散する。小川の丸木橋から海峡をこえる鉄橋にいたるまで、橋という橋はすべてふしぎな魅力をもって私たちの心をひきつける。右岸から左岸へ人をわたすだけの、その機能のこの上ない明快さが私たちの複雑さに疲れた心をうつのだろうか。その上下にある空と水のつかまえどころのない広大さや流転にさからって人間が石なり鉄なり木なりでもっとも単純な形で人間を主張する、その主張ぶりの単純さが私たちをひきつけるからだろうか。」(「空も水も詩もない日本橋」/『ずばり東京』収録)
最近、仕事で隅田川かいわいを訪れることが多かった。勇壮な永代橋に優雅な清洲橋、にぎやかな吾妻橋。水の都・東京には、渡るだけで詩人になれる橋がたくさんある。(池)
写真は「開高健記念文庫」開高健著作の棚の一部。
episode.24
「精神は嘘をつくが肉体は正直である。頭より舌である。」(『新しい天体』)
「自分自身を愛するように隣人を愛せ」。イエスの言葉にはうなずくが、カニを食べているときは例外だ。隣人と分け合うなんてできない。
写真の単行本『新しい天体』のあとがきに「小説家もボクサーとおなじように日頃からたえずシャドー・ボクシングをやっておかなければならない。私としてはいろいろなことのデッサンとしてこれを書いてみた。」と、この「小説ともルポともエッセイともつかない」食談への意気込みを書いている。(池)
episode.23
「食いしん坊の夫婦は日頃どんなに仲がわるくても食べ物の話のときだけは一致するものである。」(『新しい天体』)
開高の妻、牧羊子は料理本を出すほどの料理好きで、中華が得意だったという。この一文には開高の実感がこもっていると思う。(池)
写真は初代の単行本『新しい天体』(1974年 潮出版社)。
episode.22
「“越前”という字を見るたびに私は暗い空、暗い海、暗い雑木林を思いだす。柔らかくて深い新雪に淡い陽が射し、雪片の燦めきとかげろうのたゆたいのなかで一点、二点、まさに灯がついたようにいきいきと、咲くというよりは閃くようであったスイセンを思いだすのである。それを眼にした瞬間に私の荒涼とした内部に何かかすかな音がしたようだったことも。」(「寒い国の美少年」/『眼ある花々』所収)
旅の先々の国で目にした花々を、その姿や記憶や物語としていとおしむように書いている、女性月刊誌の連載エッセイ。ベトナムの戦地から帰ったばかりの小説家を癒したのは“越前ガニ”の美味だけではなかった。(菊)
写真は初代単行本の『眼ある花々』。眼(まなこ)ある花々、はランボオ『地獄の季節』の一節から、らしい。
episode.21
「何日も、何週も、毎日午前に一回、午後に一回、老人の頭を鉈(なた)で粉砕してしまいたい衝動を必死になってこらえて、私は草根木皮をきざんですごした。そしてその結果もらったごくわずかのお給金を、母や妹のためにイモを買ってやることをせず、ただオトナになりたい、もしくは、オトナの真似をしたいという一心からジャンジャン横丁へいってカストリを飲んで消費してしまった。ひどい良心の呵責と宿酔に苦しめられたけれど、それが私の、私にたいする“成人式”であった。
十五歳の冬である。」(「思いだす」/『白いページ』収録)
開高は満12歳のとき父を失って少年家長となる。太平洋戦争後の焼跡闇市の大阪でバイトにあけくれ、ある日、得た金をカストリ(ヤミ焼酎)につかってしまう。のちの大酒客・開高健の「酒」始め。オトナになりたい。“外”へ飛び出したい。34歳のときに書きはじめた自伝的小説『青い月曜日』にもそんな「夜明け前」の想いがつづられている。(菊)
写真は初代単行本と直近文庫の『青い月曜日』。
episode.20
「ヒトラーは『我が闘争』のなかで、政治宣伝の本質をあけすけに語り、大衆というものは女に似たところがあるから、アレかコレかと選択に迷わせてはならないのであって、たった一つ、コウだということを繰りかえし繰りかえし徹底的にたたきこまねばならない。大きな嘘には何かしら人をして真実と信じ込ませるものがあるのだ、と書いている。恐るべき名言である。」(「またまたまた入る・ヒトラーか」/『開口閉口』収録)
女に似たうんぬん、はあまり今日的ではないかもしれないが、政治宣伝の本質というのは「迷わせない」「徹底的に繰りかえす」……ぜんぜん変わっていないだろう。ヒトラーは現代とたしかに地続き。(エッセイのタイトルのなかの「入る・ヒトラー」は「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」のことです)。(菊)
写真は初代の単行本『開口閉口』「1」と「2」。
episode.19
「感情、お金、女、旅、命、言葉、嘘、真実、官能、時間、酒。何でもいい。一つでもいい。三つでもいい。とめどなくでもいい。とにかく“浪費”という言葉にふさわしいような生の浪費をすることが小説家にとっては蓄積になるのだという厄介な原理が金持国でも貧乏国でもおかまいなしに襲いかかってくるので私はつらい。」(「すわる」/『白いページ』収録)
開高健は訳詩でも宣伝コピーでも、ルポでもエッセイでも小説でも雑文でも、なんでも書いてプロだった。人に読まれる文章。カネを出してでも最後まで読みたくなる文章。(菊)
写真は初代の『完本 白いページ』。文庫本でも600Pを超えるけれど、ちょっとずつ読む、でもパタンとあけて読む、でもいける。
episode.18
「キャパは写真のほかに『ちょっとピンぼけ』という本を書いている。第2次大戦従軍記であるが、弾丸とシャッターの合い間に下手なバクチをしてスッたり、ヘミングウェイと大酒飲んで二日酔いになったり、気ぜわしい恋をしたりという生活が描かれていた。それは、簡潔で、かわいて、透明な、とてもいい文章だった。生きるか死ぬかの瀬戸ぎわに自分を追いつめたり、追いつめられたりしながら、いつもたのしむことを忘れず、笑うことを知っていた。
「ああ、こんな男と一パイやれたら!」読みおわると、だれでも小さなため息をついて、そうつぶやきたくなるのである。(「ああ、こんな男と一パイやれたら!」/『一言半句の戦場』所収)
ベトナムで地雷死したカメラマン(享年41歳)の手記についての一文。「ああ、こんな男と一パイやれたら!」。開高健にも、そうつぶやきたくなるところが確かにある。(菊)
写真は現行の文春文庫版『ちょっとピンぼけ』。スタインベックによる前文もしみる。
episode.17
「ビールの泡とかタバコの煙りなどと申すものは完全なプライヴァシーであり、一種のモビール作品であって、そのプツプツと上昇しつづける、また、ユラユラともつれる運動ぶりを眺めるのが放心の愉しみなのである。」(「グエン・コイ・ダン少尉とオイル・ライター」/『生物としての静物』収録)
グラスの中を昇っていく炭酸の泡。言われてみれば、最近じっくり眺めたことがなかった。そんな時間はいくらでもあるのに。忙しがって人生をすり減らしていることに気づく。(池)
写真は「開高健記念文庫」の著作陳列棚の一角。
episode.16
「町は小さくて古かった。旅行者たちは、黄土の平野のなかのひとつの点、または地平線上のかすかな土の芽としてそれを眺めた。あたりのゆるやかな丘の頂点にたつと指を輪にまるめたなかへすっぽり入ってしまうほど、それは小さかった。」(「流亡記」より)
芥川賞受賞の翌年、まだ海外に出たことのない二十八歳の開高が想像力でたどりついた二千年前の中国大陸の奥地=中編小説「流亡記」。万里の長城建設に駆り出された「私」の物語はこんなフォーカスから始まる。後年の、言葉のレンガを積みあげていくような開高世界がすでにここにみえる。最初に読んだとき、この「世界」の硬質さにはじかれた気がした。いまはちょっとちがう。言葉のレンガの階段を一段ずつのぼってその向こうにひろがる地平が共有できる気がする。(菊)
写真は1978年に限定200部でつくられた折り本版私家本。このために書かれた直筆あとがきに「歴史は煮つめていけば文体に尽きるのだと思うことがしばしばあったのでこういう作品がでてきた。」とある(開高健記念文庫で公開中)。
episode.15
「ナンでもカンでも一人前以上にやってのけられる人物が尊重され、貴重がられ、それにふさわしく待遇されている例はたくさんあるけれど、一つか二つのことしかコナせないのに七つ、八つのことを同程度にコナせる人物よりもはるかに高く信愛されるケースがじつにしばしばある。」(「小さな、偉大な戦士ウェンガー・ナイフ」/『生物としての静物』収録)
スマホは現代の生活に欠かせない基本インフラとなった。買い物やネット検索、音楽鑑賞、何でもできる。もちろん読書も。でも、できれば本は紙で読みたい。いつまでも劣化しないデジタルではなく、古ぼけていくモノだからこそ人生の同伴者になれる。(池)
写真は『生物としての静物』の初代単行本(オビ付き)。
episode.14
「瀬戸物でも枯れることがある。肉、魚、油、酢、醤油などから彼らも栄養を吸収し、新陳代謝し、汗をかいたり、呼吸をしたりするのだと私は感ずる。つまりそれらは動物なのだ。人に使われなくなり、人を使わなくなると静物になる。枯れて、死んで、ひびが入る。形はあるけれど破片になるのである。」(『戦場の博物誌』)
ベルリン伝統の磁器「KPM」がどうしても欲しくなり、思い切ってン十万円のティーセットを買ったことがある。白磁に薄紫のデザインがすてきだったが、狭い自宅で置き場に困り、ほとんど使わないまま20年後に売却した。売値は500円だった。(池)
写真は「戦場の博物誌」初収の単行本『歩く影たち』のカバー。
episode.13
「金子光晴は全体として見わたすと、クラゲのような、ナマコのような、酔っぱらいのような、聖者のような、道化のような、哲学者のような、バラの花をうたっているかと思うとウンコをうたいだす、ごろつきで大学者で、手に負えないカンシャク持ちじいさんで、強気と弱気、優雅と蛮勇、倨傲とひるみ、危機が肉迫すれば前世紀の恐竜のような背骨をもってたった一人で獅子奮迅するけれど、危機が潜在してしまうと豆腐のようにグニャグニャしてわけがわからなくなってしまうという、頭をかいて渾沌それ自体だとでも言うよりほかない人であるけれど、しかし、この『鮫』では、彼は、大旅行から帰ってきたスウィフトであった。」(「父よ、あなたは強かった」/『あぁ。二十五年。』より
1963年、満32歳のときに書いた金子光晴の詩集『鮫』についてのエッセイから。金子とはその後個人的にも親交ができたらしい。(菊)
写真は初代単行本『あぁ。二十五年。』(装丁は寿屋宣伝部仲間の坂根進)。
episode.12
「はじめての町にいくには夜になって到着するのがいい。灯に照らされた部分だけしか見られないのだからそれはちょっと仮面をつけて入っていくような気分で、事物を穴からしか眺めないことになるが、闇が凝縮してくれたものに眼は集中してそそがれる。」(『夏の闇』)
芝居小屋に入っていく感じだろうか。暗い舞台にスポットライトがあたり、役者たちが動き出す。知らない町で芝居が始まり、自分も観客でありながら登場人物の一人になる。(池)
写真は『夏の闇』の初代単行本。開高自身が「これは闇シリーズのPart Ⅱだ」とサインしてくれたもの。
episode.11
「しばしば事態の本質は中心よりも末端に示現するのである。人の言葉を聞くときは、さりげなく、何気ない、別れぎわの一言半句にこそ耳をたてなければならないのである。インタヴューの天才で、“内幕物”の大才であったジョン・ガンサーもおなじことをいっていたと、今、ヘトヘトになって思いだすのである。諸君、よくよく耳をほじって人と別れられよ。ユメ、油断召さるな。」(「俺達に明日はない」/『魚心あれば』収録)(初出・「週刊朝日」→『もっと遠く!』収録)
優れたジャーナリストでもあった開高が取材術の一端を教えてくれている。取材ノートを閉じた後、本当の勝負が始まる。(池)
写真は大型本『もっと遠く!』『もっと広く!』2冊特別セット。
episode.10
「このあたりは赤道直下そのものではないけれどほとんど直下といってよい地帯で、六時に夜が明けて、六時に陽が沈む。夜明けの雲は沈痛な壮烈をみたして輝き、夕焼けの雲は燦爛(さんらん)たる壮烈さで炎上する。そそりたつ積乱雲が陽の激情に浸されると宮殿が燃えあがるのを見るようである。」(「第一章 神の小さな土地」/『オーパ!』より)
アマゾンにわたる前、開高さんは冗談めかして「そもそも物書きは“筆舌に尽くしがたい”とか“言語に絶する”とか言ってはいけない」と繰りかえしていた。なので、釣魚紀行『オーパ!』の第一章の原稿をうけとったとき、冒頭のほうでこの一節を読んで鳥肌が立つおもいだった。カメラマンにはその「壮烈な夕焼け」を写真に切り取る覚悟、作家にはこんな「壮烈な」文章を原稿用紙に記す覚悟。宮殿が燃えあがるような夕景──息を呑む、しかなかった。(菊)
episode.9
「画塾には二十人ほどの子供がやってくるが、そのひとりひとりがぼくにむかって自分専用の言葉、像、まなざし、表情を送ってよこす。その暗号を解して、たくみに使いわけなければぼくは旅行できないのだ。他人のものはぜったい通用を許してもらえないのだ。」(「裸の王様」/『パニック・裸の王様』収録)
できあいのマニュアルに頼るだけでは人との関係は結べない。忖度(そんたく)しない子供なら、なおさらだ。驚くほど幅広い人たちとつながっていた開高は、きっとすご腕の諜報部員みたいな暗号解読の名手だったのだろう。(池)
episode.8
「三島さんはそれ以前から、死ぬ死ぬと言いつづけていたけれども、私はそれを真に受けとめていなかった。あの人は、そういう意味では手のつけられないくらい律儀(りちぎ)で、かたくなで、やぼな人だった。
すべての作家は、どんな洒落たものを書いていても、本質的にやぼな人間である。やぼな人間が文学をやるんだと、私はそれまで思っていたけれども、ここまでやぼな人がいるとは思わなかった。私の敗北である。私は、人間を見抜いていなかった。私はマン・ウォッチャーとは言えない。これでは小説家になれない。そう反省させられたものだった。」(「作家の死」/『風に訊け』収録)
1970年の三島由紀夫自決の衝撃について質問されたときの答え(の一部)。男性週刊誌の人生相談『風に訊け』は語り下ろしの連載で、若い読者を意識し、エロい話、深い話、粋な助言にくわえ、自身の本音も語られる、長い「開高健」インタビューのようなもの。初版の宣伝オビには「風が人生を語った。まるで284篇の詩のように」とある。同感。(菊)
episode.7
「ワニをつかまえるには?」
「ナイル河へいくことです。そのときかならず共産党小史を持っていくことを忘れてはいけません。国民の義務ですからね。そこでナイルの岸辺に寝ころんで小史を読みにかかる。たちまちあなたは眠くなる。そこへ河からワニがあがってくる。ワニはあなたを食べるまえに小史に気がつき、読みにかかる。するとたちまち眠くなってその場に寝こんでしまいますから、あなたはむっくり起きあがってワニを縛っちまえばいいんです。それからゆっくり小史を読みなおしたら、今度はほんとにグッスリ安眠できます」(「夜の大統領」より/『食卓は笑う』収録)
「ソ連・東欧には一度しか行ったことはないが」とことわって、1982年にでたジョーク集にひろってあるジョーク。ソ連はもうないが、これにニヤリとしてしまう条件はいまでも、そこここにあるとおもう。自覚も含めて。(菊)
episode.6
「小説家になってしばらくすると私の家にも外国人の日本文学研究者がよく遊びにくるようになった。酒を飲みつつ彼らのたどたどしかったり流暢だったりする話を聞くうちに、しばしば井伏ファンがいることを発見した。彼らは眼を細くして井伏作品を全肯定する。」(「天才が……」/『魚心あれば』収録)(初出・「井伏鱒二自選全集 第4巻月報」→『オールウェイズ下』)
開高は井伏鱒二を敬愛していた。釣りを通じた交流は有名だが、それ以上に、文章に厳しい開高すら魅了する力が井伏作品にはある、ということだろう。ともに海外でも評価されていたと思うと、ちょっと誇らしくなる。(池)
episode.5
「外国を歩きまわったり、外国人と話をしたりする愉しみの一つは、諺(ことわざ)や小話や民話を聞かされることである。会話のなかで固有なるものと衝突できる快感があり、手ごたえがある。慣用句や諺や小話は作者不詳のものが大部分であるが、その国の住人が歳月をかけて練りに練り、削りに削った英知が含まれているから、チョイ書きの文明批評などが足元にも及べないリアリティーがある。」(「小さな話で世界は連帯する」/『開口閉口』収録)
「固有なるものと衝突できる快感」。開高健の文章にもそんなところがある。こういう、「取材」とも「蒐集」とも違う、人間への開高流の関心の持ち方が、かれの文章のあの「古びなさ」をささえているような気がする。(菊)
episode.4
「ずっと後になって東京で知りあったイギリス人から――この人はケンブリッジ出身だったが――あれは新聞紙に秘密があってエロ新聞に包んでもらうといつまでもホカホカと温かいけれど、『タイムズ』なんかだとたちまちさめてしまうというんです、というジョークを聞かされたことがある。シンプソンのローストビーフも食べたはずなのに肉も皿も思いだすことができず、こんなフィッシュンチップスの一包みが生きのこって、いつまでも忘れられない。」(「掌のなかの海」/『珠玉』)
初めてロンドンに行ったとき、まず探したのはフィッシュ・アンド・チップスを出す店だった。ぶつ切りにしたタラとジャガイモのフライはほとんど味がない。赤い酢をジャバジャバかけて生ぬるいエールで流し込んだ。いつも冷静な英国人諜報員になった気がした。(池)
episode.3
「そのコニャックはどんな味がしたかと検事がたずねると、いつもは命令でした、命令でやるしかなかったのです、私がやらなければ誰かがやったことですなどといってぬらりくらりと切り抜けていたアイヒマンが、うっかり、大仕事を終わったあとだったのでうまかったですと洩らした。すると検事が禿頭を見る見る赤く染めて、言葉鋭く、数百万人の人間を絶滅する相談をしておいてコニャックがうまかったとは君も人間だ、人間だという証拠だ、君は歯車ではなかったのだ、とつっこむのだった。」(「『叫びと囁き』革命と戦争」/『頁の背後(全)』)
ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは、大勢のユダヤ人をアウシュビッツ強制収容所に送り込む作戦を指揮した。罪悪感はなかったのだろう。そうでなければ、どんな高級コニャックも苦かったに違いない。(池)
episode.2
「北海道へはじめていったとき眼を瞠ったものが二つあった。一つは札幌の大通り、もう一つは黄昏の大きさである。」(「大きな黄昏」/『白昼の白想』収録)
70年以上も前、北海道と開高健はこんなふうに出会った。開高さんはこのおどろきから歩きだし、北海道開拓民たちの物語『ロビンソンの末裔』を書き、根釧原野のイトウ釣り、『フィッシュ・オン』の世界にもつながった。でも、「黄昏の大きさ」。こんなふうに開高さんはおもしろがるんだなあ。(菊)
episode.1
「嘘でなければいえない真実というものが、いつもいつも、自身のなかで膿んだり、血をにじませたりしている“秘密”ばかりであるとはかぎらない。道でふとすれちがった女の眼や水のなかに閃めく魚の影にも、ときどき、そういうものがある。」(『完本 白いページ』のオビ文/「すわる」より)
これは1978年に出た開高健のエッセイ集の宣伝オビにひろわれている開高のことば。この担当編集者は開高さんのひと回り年下だったが、京大の医学生だったころから開高健に私淑し、編集者になって『新しい天体』『書斎のポ・ト・フ』『完本 白いページ』『コレクシオン 開高健』などのちに「背戸本」と呼ばれる一連の開高作品を企画編集した。そのかれが2段組み478Pの大部エッセイ集のために選び抜いた、「これぞ!」というフレーズ。
そのマネをして開高作品から、読み手を立ち止まらせるフレーズの紹介コラムをはじめます。(菊)