episode.105
「さびしいですが、私は。九州者のいっこくでこんな暮しかたをして、石に慰められとるんですが。どうしても血が騒いでならんこともあるです。私はさびしいです。さびしくて、さびしくて、どうもならんです」
先生が呟きながらたちあがって電灯をつけると、海が消えて、掌に青い石がのこった。(「掌のなかの海」/『珠玉』所収)
バーで顔をあわせる初老の「先生」は、海で行方不明になった息子を探している。わびしく、すさんだ部屋の片隅で、激情をおさえきれずに泣く彼と、宝石アクアマリンのなかに見た海。幻想的なシーンと悲痛な男の叫びが胸に迫る。(平)
写真は左から、1990年発売の単行本(函入り上製本)、1993年発売の文春文庫版、そして2019年~2020年の没後30年生誕90年開高健The Year限定特装カバー版文庫。
episode.104
「幼年、少年、青年と育っていくにつれ、そのどの段階でも祖父が、祖父が亡くなると父が、母が、叔母がこの店のうわさをしていたことを彼は思い出さずにいられない。タコを食べ、サエズリを食べ、これまた昔風の黒くてブリブリした固いコンニャクを食べしていると、体の前後左右に歳月の柔らかい霧がひろがっていくのを感じずにはいられない。」(『新しい天体』)
国の余った予算を消化するため「景気調査官」を命じられた主人公が、日本全国の美味・珍味を食べ歩く食の紀行小説。そのなかに登場する大阪の老舗「たこ梅」のコの字カウンターに座り、筆者と同じメニューを注文してみる。向かいのおでん鍋では関東煮がぐらぐらと煮えている。勢いよく立ち上る湯気の向こうに、筆者は家族の面影を見たのだろうか。(星)
写真は大阪・梅田の「たこ梅 北店」にて。
episode.103
「瞬間は不意にやってきてすわりこみ、瞬後にたって去った。画は一瞥で見る。書物は一回しか読めない。音楽は一回しか聞けないのだ。神童の顔は見えたとたんに消えた。」(『夜と陽炎 耳の物語**』)
2冊組み自伝的小説の2冊目。開高は南米大陸縦断旅行の車中でモーツァルトの交響曲41番「ジュピター」を聴き、ひどく感動する。「凜々としているのにまったくおしつけがましくなく、威風堂堂としているのに花のように自身であることに満足しきって、美も絢爛も整序も意識していない」と。しかし東京に戻って聴いたとき、その感動は再現されなかった。芸術にも一期一会は、ある。(池)
写真は新潮文庫。表紙にはフンデルトヴァッサーの作品が使われている。
episode.102
「英語は海賊の言葉、フランス語は女を口説く言葉、スペイン語は神様と話をする言葉ということになっておるのだけれども、この神様と話をする言葉がカガマリコというふうに気楽にできているので、日本人としては大いになじみやすい」(「野に遺賢 市に大隠」/『書斎のポ・ト・フ』所収)
大阪時代からの旧友3人による忖度なしの文学鼎談。谷沢永一、向井敏という気の置けない2人を相手に純文学からハードボイルド、新聞漫画まで縦横無尽に語り続ける開高健は実に楽しそうだ。引用部は、美人女優の名前がスペイン語ではとんでもない意味になるという豆知識。(池)
写真は、1981年に潮出版社から出た単行本。
episode.101
「乗ったままでいると、電車はいつまでも市の上空を旋回しつづけた。〝東〟に入ると、その入口の駅で止まるが、あとはどの駅にも止まらないでかけぬけて、〝西〟に入る。その地区では一つ一つの駅に止まって、やがて〝東〟へいく。各駅停車とノン・ストップのちがいはある。しかし、どの駅もみなおなじ無人境なので、各駅停車もノン・ストップもおなじことである。頑固に、勤勉に、正確に、止まったり、かけぬけたりするが、おなじことだった。入ってきて、人生と叫び、出ていって、死と叫んだ。」(『夏の闇』)
冷戦下のヨーロッパで鬱屈した日々を過ごす主人公は、長編小説のラスト近くで東西に分断された街に行き、環状線に乗る。出口のない焦燥が、循環する電車によって表現された見事なシーン。(池)
写真は、新潮社文庫。
episode.100
「(東京ニ木ガアル !…… )
私はおどろいて 、眼をひらく 。皇居や神宮外苑や青山墓地や新宿御苑などに緑の大きな群落はあるけれど 、私をおどろかしたのはそれではなかった 。黄煙 、赤煙がもうもうとたちのぼる工場地帯のセメントの塀にしがみつくようにして建てられた 、まるでその塀の汚点か垢みたいな小さな人家でも庭を持っているのである 。」(「東京タワーから谷底見れば」/『ずばり東京』所収)
1964年のオリンピック開催前後で変容を遂げる東京の姿を描いたルポルタージュ『すばり東京』。著者は初めてのぼった東京タワーから眼下にひろがる町並みを見て、猫の額のような人家の庭にも緑があることに気づき、驚いている。石の街である欧米の都市では、個人宅は土を持たず自分だけの自然を持てない。それに比べて、日本人はなんと贅沢なんだろう。その一方で、日本人は並木や公園などの公共の自然に対しては冷淡だ、と述べている。その箇所を読んで2024年に生きる自分はどきりとしてしまう。(平)
写真は光文社文庫版。
episode.99
初めてパリに行ったとき、自分がパリにいることが信じられなくて、頬をたたいてみたり、オシッコをしてみたりしても現実なんで、毎晩毎晩、東西に歩いてみたり南北に歩いてみたり、徹夜でパリの街を歩き回った。夜中に歩いてて、街角へくるとプラックという町名を書いた標識板が張りつけてある。
「あっ、ここはバルザックのあの小説に出てくる街だ」
とか
「これはサルトルの『自由への道』のあそこにあった場所だ」
とか、そんなことを思い出して、わくわくしながら歩きつづけた。
(「旅は男の船であり、港である」/『地球はグラスのふちを回る』所収)
開高流の旅を語ったエッセー。世界を駆け巡った開高だが、少年の頃からあこがれていたパリでは実に初々しい。「少年の心で、大人の財布で歩きなさい」という自らの警句を実践していて、ほほえましくなる。(池)
写真は新潮文庫版。
episode.98
「手錠つきの脱走は終った。羊群声なく牧舎へ帰る。」(「第八章 愉しみと日々」より/『オーパ!』)
映画「手錠のままの脱獄」(シドニー・ポアチエ等)を思い浮かばせる前半。「北大寮歌」から借りた後半。「前途には、故国があるだけである。口をひらこうとして思わず知らず閉じてしまいたくなる暮らしがあるだけである。」から続いていて、『オーパ!』=驚きの旅の最後の感慨にこれほどふさわしい一節はないだろう。連載を受け取った当時、そう思わせられた。「脱獄」じゃあんまりだもんな。でも、声なく帰る先は茅ケ崎の「牧舎」だった。「火宅の人」すれすれの状況もかいまみえたことがあった、が、それをしなかった開高さん。帰っていく先には書斎の筆責とともに、「家族も」あったのだと今ならおもう。(菊)
(菊)こと開高健記念会元理事の菊池治男氏=写真右端=は3月16日、逝去されました。74歳でした。謹んでお悔やみ申し上げます。
episode.97
私が深く頭をさげ、有志一同に
「恐れ入りました」
というと、一同はいっせいにはしゃいだ。積年の辛酸を骨にまできざんだかと思われる皺(しわ)をのびのびひらいて、子供のように笑い、叫ぶのであった。(「第七章 タイム・マシン」より/『オーパ!』)
アマゾンでの釣りの旅を終えた一行をブラジリアで迎えてくれた「有志一同」の釣り師たち。かれらの口から出た釣り餌の大ミミズ。開高さんは信じない。そこでじっさいに土を掘って大ミミズを見せてくれた。そのときのようす。大ミミズだけでなく、旅ぜんたいへのことばだったのかもしれない。連載エッセイのむすびの位置。(菊)
episode.96
「進行中の裁判(反対訊問のほとんど)を眺めていたときの私の感想はさまざまなものであった。一人の人間の殺害を六百万倍するということなのか。一人の人間の殺害と六百万人の殺害とはどこまでがおなじであり、どこからがちがうのか。そういうこともよくわからなかったし、また、傍聴席にすわっているとき、もっともしばしばおそったのは死に対する無感覚であった。法廷はエアコンディションがよくきいていて爽やかであり快適であった。」(「過去を語らぬあいつ」/『饒舌の思想』所収)
エルサレム滞在中、アイヒマン裁判の傍聴に足繁く通う30歳の開高。過去の行いについて口を閉ざすアイヒマンの姿とその後の彼の死刑判決を受けて、ひとつの正義が別の正義を裁くことの不確かさについて思考する。若き作家が中国、フランス、ソビエトと世界各地に赴き、見たもの、聞いたものを体内に取り込んだこの時期が、のちのベトナム戦争ルポの地層にある。 (平)
写真は、ちくま文庫版。
episode.95
「ある正午、銀塔酒家のいつもの席にすわって、私は眺めるともなく河を眺めていた。軽快な脂と肉汁のつまったハトをたっぷり食べたあとで、体内のあちらこちらでビールが泡だっていた。陽が白熱して黄いろい水や小さな紫の花などのうえでゆらめき、眼をあけていられないほど暑かった。私は電撃をうけたように一つの啓示にうたれたのだが、それが何であるのか、わからないでいた。ただ、もうこの国には二度と来ることはあるまいと、ひたすら思いつめていた。淋しかった。」(「飽満の種子」より/『ロマネ・コンティ・一九三五年』)
しばしばじぶんの旅を素材に小説を書いたイギリス人作家グレアム・グリーン。『おとなしいアメリカ人』など同じ国(ベトナム等)を舞台とした小説を読んで、この作家の旅と執筆の関係にいたく感心したらしい。この一節は、グリーンにおける「阿片」についてのはなしからはじまり、自身の阿片体験をつづった短編小説「飽満の種子」の末尾におかれている。「この国には二度と来ることはあるまい」と思いつめる旅。発表されたのは1978年1月。開高のベトナム最後の旅(1973年)の5年後。(菊)
写真は「飽満の種子」をふくむ文春文庫版『ロマネ・コンティ・一九三五年』。岩波文庫版『開高健短篇選』、集英社文庫版『流亡記/歩く影たち』でも読める。
episode.94
「そんなところで《なつかしき現実》が味わえると思うのはいい気な錯覚にすぎないのはいうまでもないが、もし雨が降ってくれたら藁屋根にしみる雨の音というものは聞けるのではないか。それ自体は事実だし、真実ではあるまいか、と提案したら、加奈子は皿から顔をあげて頬を紅潮させ、深刻な声で「うれしいわ」と呟いた」(『花終る闇』)
3人の女をめぐる未完の長編小説。その最後の場面で、主人公は女の1人を、芸術家たちがクラブとして買い取った過疎村の水車つき農家に誘う。開高は男女の関係をどのように展開させるつもりだったのか。読者は宙ぶらりんに放り出されたまま、余韻のなかで想像するしかない。(池)
写真は新潮文庫版。解説を寄せたユルゲン・ベルントは、開高や遠藤周作の作品の翻訳で知られるドイツの日本文学研究者。
episode.93
「あとで仲間から“フクスケ”と呼ばれるようになったひとりの男がすこし酔ったような足どりでジャンジャン横町を歩いていた。見たところは大きな男だが、すこし猫背で、穴のあいた水袋のように筋肉が骨のうえにたるみ、すっかり弱りきっていた。」(「第一章 アパッチ族」より/『日本三文オペラ』)
開高健のストーリー性のある小説らしい小説、たとえば『パニック』『裸の王様』『片隅の迷路』などの初期小説のなかで、いちばん人気の高いらしいのが『日本三文オペラ』。終戦後まもない大阪の工廠跡を舞台にしたエネルギーあふれかえる“悪漢小説”は、この冴えないおとこの描写からはじまる。これまでなんどか舞台化されているらしい。(菊)
写真は新潮文庫。
episode.92
「夕陽がその門に射すと、朱と金が燃えたつようにキラめく。門のはるかかなたにははてしない地平線がひろがっていた。その巨大な膨張ぶりに見とれているうちにとつぜん愕然として教えられる。この地平線のかなたには蒙古と近東とヨーロッパ、北方では砂漠をこえてソヴェトがそのまま陸つづきで内蔵されているのだ。ヨーロッパはこの車室に視点をおけば大陸の辺境だ。半島なのだ。半島にすぎないのだ。」(「中国 一九六〇年五月三〇日~六月六日」/『過去と未来の国々』所収)
開高が初めて訪ねた外国は中国だった。街の匂い、漢字の落書き、中国革命の遺構見学、要人との対話……。30歳の開高は、世界に目を開かれる瞬間瞬間をみずみずしく書き留めている。(池)
写真は2007年発行の光文社文庫。巻末には茅ヶ崎市開高健記念館の案内が地図付きで掲載されている。
episode.91
「何年も以前になるが、ある時期、人間がいやでいやでたまらなくなったことがあった。その衝動をおさえることができなかった。右を見ても左を見ても薄汚い、みじめな、必死なのかもしれないが同時に猥雑きわまる風景しか眼に入らなかった。また、そういうものから逃げだしておちょぼ口で芸術のことなど喋っている連中も同時にいやでいやでならなかった。」(「現代美術15 ユトリロ」より/『開高健のパリ』所収)
戦後15年、まだ海外旅行そのものが珍しかったころ、芥川賞作家になって間もない開高は画家モーリス・ユトリロ画集の解説を任された。はじめてのパリ、そのパリの街角をたくさん残したユトリロ。その解説ふうエッセイの冒頭を、開高健は上記のようにはじめている。(菊)
写真は「開高健 The Year」を期に出されたエッセイ抄録単行本『開高健のパリ』(集英社)。
episode.90
「頭上に殺到し、かすめていく凶暴な重量物の、いてもたってもいられない擦過音におびえてヤシの幹にぴったりくっついてすくんでいると、眼前の闇が冷たく、蒼白く輝き、それは何万もの大群衆の歓声であるはずだが何の物音もしない。光輝がふッと消えると、その穴へ闇がなだれこむ。それは太古の夜の花である。」(「君よ知るや、南の国」より/『眼ある花々』)
ベトナム戦争最前線の島でみたホタルの大群。空からの爆撃や町からの砲撃が続く中、静かに明滅を繰り返す。超然とした自然との対比が、人間の愚かさ、小ささを際立たせている。(池)
写真は、中公文庫版。世界各地の思い出を花々に託して語ったエッセイ集。もともとは「婦人公論」の連載だった。
episode.89
「深夜に万年筆のお尻をひねってインクを吸入したり排出したりしていると、その時間が、小さな、いい句読点になってくれて、思考にゆとりができるものである。カートリッジ式だとピストルに弾をつめるようにして新しいカートリッジを挿入すればいいわけだが、永い歳月のうちについた癖はやめられるものではないから、いたしかたなく、特大瓶を一度に三本買いこんで、深夜の息切れに備えることとした。あと何年でこの三本がからっぽになるだろうか。そのあいだ生きのびられるだけの迷蒙の力が心にあるだろうか……」(「使わなかった物、指紋をつけなかったもの」より/『生物(いきもの)としての静物』)
「心に迷蒙の力」……開高健にとってそれが「書くこと」だとおもえたんだろうか。茅ケ崎の仕事場には亡くなったあとインクの特大瓶はまだ残っていたとおもう。(菊)
写真は復刊された単行本『生物としての静物』(河出書房新社刊)。
episode.88
「ふつう私たちはこれらの諸国を“東欧諸国”とか“ソ連の衛星国”などと、十把一からげに片づけてしまうが、たいへんなまちがいである。各国は各国の歴史と風土と国民性によって、まったく別々の道を歩んでいるのである。外国人と親しむ、いちばんよいきっかけは、逸話や冗談話である。」(「社会主義国のユーモア 東欧三国を歩いて」/『言葉の落葉Ⅱ』)
東西冷戦下の1960年、ルーマニア、チェコスロヴァキア、ポーランドにそれぞれ1か月ほど暮らした後の滞在報告。例としてチェコとポーランドの国境で出会った二匹の犬のジョークを紹介している。「チェコにいく犬に何しにいくのだと聞くと“チェコへくつを買いにいくのさ”と答えた。ポーランドにいく犬に向かって“お前さんは?”とたずねると、その犬は胸をそらして、“きまってらあね、ほえにいくのさ”……」。経済力はあっても締め付けが厳しいチェコと、貧しいが自由を求めるポーランドの実像が鮮やかに伝わる。こういうジョークをすくい上げる嗅覚の鋭さが開高ルポの魅力だと思う。(池)
写真は、1980年に冨山房から刊行された初版本。1960~1963年の単行本未収録全エッセイを収めている。
episode.87
「坂根君はぶどう酒を買いあさり、飲みあさり、ひたすら励んでいたが、近年そのフッときた。そうなると愛が憎に転化し、見るのもイヤになってくる。何百本というぶどう酒の山に彼は吐気を催し、誰ぞにくれてやるワと口走っているさなかにたまたま私は行会った。そこで同情のあげく、酒のわからないヤツにつぎこんだところでドブに捨てるようなもんだから、オレに鑑賞させて頂きたいと、申出た。坂根君はその場でOKし、一昨年の暮れに100本、昨年の暮れに発作を起こしてまた100本、これは一本ずつが恐しい銘と年号のをドカドカと持ってきてくれた。」(「玄人はだし」より/『最後の晩餐』)
寿屋宣伝部時代の坂根君(坂根進)は雑誌のレイアウト、デザイン、写真すべてバリバリこなす上に、何を聞いても「ア、それ、僕知ってる」「それ、持ってる」「そこ、行ったことある」という異才だったらしい。名短編『ロマネ・コンティ・一九三五年』冒頭に出てくる「重役」のモデル。開高をTVドキュメンタリーの世界にさそったひとでもある。(菊)
写真の文庫本は2006年光文社刊。
episode.86
「テーブルのうえの茶椀には米飯が盛ってあり、箸が一本、たったままになっている。なぜこれが発生したのか。何にも私にはわからない。私はだまって血の匂いを吸う。殺すよりほかにヒトはまじわりようがなかったとだけ感じられる。のろりとあぶらっぽくてあまったるい匂いがたちこめている。貧しい貧しい中学校の教室である。彼らは革命者だったのだろうか。反革命者だったのだろうか。それとも、ただ何者でもないというのでこんなことになったのだろうか。」(「サイゴンの裸者と死者」/『サイゴンの十字架』収載)
1968年、ヨーロッパからベトナムに戻った開高は、中年女のテロリストに襲われた中学校を訪ね、内臓をバケツでぶちまけたような教室に立ちつくす。戦争が再び身近になってしまった現在、ひときわリアルに感じられる描写。(池)
写真は、2008年に刊行された光文社文庫版。
episode.85
「大尉は私が小説家であることに興味を抱いたので、私は日本語には漢字とひらがなとカタカナの三種があって、小説家はその三種を縄のように編んで文章を書くのだが、主語が無数にある。英語のように《I》一つではすまないから、どの《I》を選ぶかでまず作品の雰囲気が決定される。これは他のどの国にもない苦心のところだ。なかには《I》を作品中に一度も書かないですませられる手法もある。」(『輝ける闇』より)
サイゴンのホテルのレストランでアメリカ兵の大尉に語っている「私」の小説観。この「主語」=「小説・物語の語り手」をどうするか、だれにするか、について開高は作家として終生こだわっていた。ただ、小説以外の文章については語り手は「私」=著者で、そこにあまり迷いはなかったようにみえる。(菊)
写真は新潮文庫で1982年から版を重ねている『輝ける闇』。
episode.84
「カフカの文体は透明である。徹底的な描写主義でありながら彼は透明さと詩に成功している。そこにまずひかれる。つぎに、やはり、ビュロクラシーへの恐怖が共感をさそう。私としてはカフカは何とか克服しなければならないと思う作家なのだが、この点、悩まされることが多い」(「チェコのカフカ」/『言葉の落葉Ⅰ』収載)
チェコの文学者からカフカ評を問われたときの回答。開高の初期短編『流亡記』は、長城をめぐるカフカの小説断片に着想を得ていた。今年で没後100年となるカフカ。開高への理解を深めるヒントになるかもしれない。(池)
写真は、1979年刊行の初版。
episode.83
「対比の効果はゴヤの頑癖のように思われる。裸のマハに着衣のマハである。王妃と鏡である。殺される女の美しい眼である。わが子を啖(くら)う巨怪のおびえた眼である。空にはだかる巨人の憂鬱と下界の群衆の狼狽である。人肉を啖おうとする原人とその雅純さである。」(「ゴヤが夜ふけに見た」より/『白昼の白想』)
ゴヤとの出会いは最初のパリ訪問のとき。そのあまりの衝撃にマドリード美術館でゴヤの「黒い絵」を見るために、その年、次の年と旅先のパリからわざわざマドリードを往復したらしい。その開高の「ゴヤ熱」はいくつかのエッセイでその沸騰ぶりが書かれている。引用部分はゴヤの作品の概要をさっと書いた導入部分。その絵たちが都度おもいうかぶような。(菊)
写真は、1979年に文芸春秋から出た単行本。
episode.82
「ワインは水と土と太陽の唄です。人為を超えた自然の芸術品です。無数の味と香りと色彩のたわむれが、ワインに無限の奥行きと上下左右を与え、安物から極上のワインまで、実に多彩に楽しめる酒を作ったのです。」(『ワイン手帖』まえがき)
開高が監修したワイン入門書。種類の案内に加え、「ピチピチと生きの良い」「心地よいスモーキーなあと味」など、味や香りの表現方法を教えてくれる。巻末の「開高健流テースティング」は、開高によるテースティング実演をカラーの連続写真で紹介していて必見。(池)
写真は1987年発行の新潮文庫。
episode.81
「私の文章はしばしば饒舌で、煩雑になり、どこか、ラーメン屋の大鍋のなかのスープみたいに渣(おり)をいっぱいうかべてギラギラしているところがあるように思えてならない。好きだという人に好んで頂くしかない。」(『日本人の遊び場』初版あとがきより)
若き日の開高は自分の文章をこんなふうに思っていた。「秋の金色を輝かした、澄んで、鋭く、しかもまろみのあるコンソメ」をつくりたいと続けているから不満だったのかもしれない。しかし、ラーメンはスマートではなくてもガラから煮だしたスープは滋養たっぷりで力がつく。中毒性がある。開高の魅力そのものだ。(池)
写真は集英社文庫。週刊朝日の編集者だった永山義高・開高健記念会理事長が解説を寄せている。
episode.80
あるとき、ホテルのグリルで朝飯の広東麺(カントンメン)を食べていると、料理場あたりから、小さな、かわいい猫が、ミュウミュウと鳴きながらでてくるのが眼についた。そこで向いの席にいる李英儒先生に、さっそく、
「先生、あなたは何でも食べるとおっしゃったけれど、あそこにまだ猫がいるじゃないですか」
というと、先生は眠そうな眼をこすりこすり、ちらとそちらのほうを見てから何食わぬ表情で、
「ああ、あれですか」
といった。
「あれは昨夜の食べ残しです」(「旅のこぼれ話」から/『ALL WAYS Ⅰ』所載)
『世界ユーモア文学全集』月報に書いた文章から。中国人の想像力を誉め、その巨大化癖、料理についての「底知れぬ天賦の才」に感嘆しながら引いているジョーク。(菊)
写真は、没後に刊行された、開高エッセイの単行本未収録分を集めた文庫。Ⅰ~Ⅲまである。
episode.79
「生まれるのは、偶然
生きるのは、苦痛
死ぬのは、厄介
聖ベルナールの(……だったね)、そんな銘句が、ふと、このあたりにまできて、よみがえる。」
(「水と原生林のはざまで」より/『オーパ!』)
「このあたり」というのは、アマゾンでの釣りを終えて大湿原パンタナルで黄金の名魚・ドラドを追う日々のことも指しているのだろう。いわばこの生きる歓びあふれる釣行(全八章)のクライマックスである第六章。岸辺のワニたちののんびりした生態を描写しながら、こんな「銘句」をはさむ。「死ぬのは、厄介」にとくに同感。(菊)
写真は初代の大型単行本『オーパ!』。写真・高橋曻。初版オビ付き。
episode.78
「ワインは水と土と太陽の唄です。人為を超えた自然の芸術品です。無数の味と香りと色彩のたわむれが、ワインに無限の奥行きと上下左右を与え、安物から極上のワインまで、実に多彩に楽しめる酒を作ったのです。」(「ワインは究極の酒なり」より/『瓶のなかの旅』収録)
五感を喜ばせるワインの魅力を力強く訴えてくる。文章だけで陶然となる。(池)
写真は2021年に出版された河出文庫。「酒と煙草のエッセイ傑作選」と銘打っている。(カバー写真は芥川賞受賞時のころの若き開高健)
episode.77
「野のイナゴを海のエビにたとえる比喩(ひゆ)はなかなかのものである。なるほどね。イナゴは野原のエビか。鋭いな。そこまでは私も思いいたらなかった。一歩先んじられたようだ。ボン・モ(いい言葉)である。新年の御馳走(ごちそう)にイナゴ。ふさわしいところじゃないか。」(「ロートレックがイナゴを食べた」より/『開口閉口』)
『夏の闇』を書きあげたばかりの、正月からはじまる週刊誌の”散歩的な”エッセイの連載第1回。画家・ロートレックの料理書をとりあげた。メニュとデッサン、料理法が9割という本に画家の食いしん坊ぶりや探求心、無邪気さをみて面白がっている。正月の号にイナゴ料理をとりあげたのは、「めでたくもあり、めでたくもなし」という開高さんの年始の散歩感だろうか。(菊)
写真は、新潮文庫の『開口閉口』(初出連載は「サンデー毎日」)。週刊誌ならではの、そのときどきの時事、政治、文学なんかの話題もとりあげている、ただしあくまで開高流散歩で。
episode.76
「開高 私なんか驚くのは、金子さんのお書きになったものを読んでいて、まあよくもこんなところまで落ちこんで、それからまた言葉を組みたてるというふうな仕事にもどれたもんだ。その精神力に参ってしまうんですけれども。
金子 それはね。少し何か自慢らしき話だけれどもね、だいたいあのあたりまでいった奴は、みなダメになるのよ。
開高 そうだろうと思いますよ。スリ切れて粉になってドブへ落ちたきりになっちまうのじゃないかしら。
金子 そう。そうなんだ。ところがあれだ。僕はね、主義主張というものでもないが、体質的なものかもしれないんだが、いつも八分目しかやらないんだよ。何事も全力をうちこまない。八分目でやめるんだよ。」(「不穏な漂流者」より/『人とこの世界』)
詩人・金子光晴との対談の一節。後の旅するヒッピーたちのバイブル『マレー蘭印紀行』や『ねむれ巴里』などに書かれた金子の海外での壮絶な放浪生活ぶりと、帰国しそのことを詩にうたったり文字にし始めた金子にホトホト感心した様子で、聞き手・開高がつっこむ。大詩人が悠然とかえす。このふたりの間でしか出現しなかっただろう光景、やりとり?(菊)
写真はちくま文庫版『人とこの時代』。大岡昇平、武田泰淳、金子光晴、島尾敏雄、井伏鱒二といった12人の「個性」たちと、対話だけでなく文章でも開高らしさで対峙した出色の人物ルポルタージュ集。
episode.75
「ブーメランは/飛んでいって獲物を撃つ。/命中すれば/獣とともにその場に落ちる。/しなければ再び飛びもどる。/受けそこねたら投げ手が倒される。/釣り師の心もブーメランである。/朝早く出ていき、夜遅く黙って帰る。/再びいつか、飛ぶために。」(「扁舟にて」/『オーパ、オーパ!! カリフォルニア・カナダ篇』収録)
釣り師の心は詩人の心に通じる。開高は釣りに釣果ではなく、詩を求めていたのだと思う。(池)
写真は大型単行本『扁舟にて』。文庫版では『カリフォルニア・カナダ篇』に収録されている(ともに集英社)。
episode.74
「この野原から持って帰ったスプーンと骨片をほかの旅のガラクタ記念品とまじえて、いまでも私はときどき夜ふけに酒を飲みつつ眺めたり、手にとったりすることがある。そのときの私は、ただ、酒を飲む肉の袋でしかなくなる。丸い、いささかいびつな、骨の箱がその肉袋のうえにくっついているが、箱のなかにつまった豆腐状の皺だらけのやわらかいものは、渚にうちあげられたクラゲのようになっている。」(「ポーランド 一九六〇年一一月」より/『過去と未来の国々』)
解放されて16年目になっていたアウシュビッツ収容所。ポーランド政府招待の旅ではあったが、開高健は目にした地獄図絵に完全に打ちのめされながら、必死にじぶんの言葉をさがしてレポートを書いた。なにげない生活の断片が一面にちらばる光景の異様さ、無残さ。(菊)
写真は、『ペンすなっぷめい作展 作品集1』より。「60人の文化人」が出たてのオリンパスペンを使って撮った「めい作」集(1963年 非売品)。開高撮影の1枚はこれ。茅ケ崎の仕事場の壁にもかけられていた。
episode.73
「煉瓦をおろし、砂漠へ行こう。」(「流亡記」より)
古代中国を舞台に、絶対権力に翻弄される庶民を描いた初期中編のラストシーン。全編を通じて、選び抜いた単語を積み上げた濃密な文章に圧倒される。(池)
カフカの残した長城をめぐる小説断片に着想を得た、開高28歳のときの作品『流亡記』。開高初期小説のひとつのピークといわれる。写真は、現在これを収録している2冊(新潮文庫、集英社文庫)。
episode.72
「はじめから海岸をめざした行動ではない。海はたまたま行手にあっただけのことなのだ。集団の衝動におし流されて彼らは正常な味覚や嗅覚を失い、遥かかなたからでも海の匂いを死の予感として判断できなかったのである。しかも行軍の途中、死にむかっているとも知らず、牝ネズミたちはせっせと子を生みつつ集団について走っていた。」(「パニック」より)
開高の文壇デビュー作「パニック」の主人公は「俊介」。じぶんの妄想じみた懸念(ネズミの大発生とその被害)にたいする対策案を通そうとする若い地方公務員の、調査と観察、落胆と前進。企業小説、サラリーマン小説としても読めるストーリーのスピード感や描写の的確さ。「内」に向わずあえて「外」に物語をもとめようとした開高の、文壇への一種の「あいさつ状」のようにもおもえる。(菊)
写真は、新潮文庫『パニック・裸の王様』。「巨人と玩具」「流亡記」といった初期の中編小説も収録
episode.71
「ギリシャ神話に登場する一人の英雄もしくは神は、敵とたたかって全身に傷をうけるが、一度倒れて大地に手をつくとその瞬間に傷が治り、たちまち起きなおってたたかいつづける。その“大地”にあたるものを提供してくれるのがナチュラリスト文学である」(「山川草木獣虫魚 ナチュラリスト文学考」付記より/『書斎のポ・ト・フ』収録)
開高は文学と真剣に向きあい、しばしば傷ついた。そんな開高にとって釣りは大切な癒やしだったが、動物や昆虫、魚の生態を文学的に描いた作品を読むこともまた、救いとなっていた。弱音だろうか。いや、神々でさえ大地を必要とするように人間にも自然は欠かせないと言っているにすぎない。(池)
写真は、開高健・谷沢永一・向井敏による鼎談書評本『書斎のポ・ト・フ』。ちくま文庫版もある。
episode.70
「暗い空。激しい沖。風のこだま。黄昏の荒磯の晦暗(かいあん)。これらが冬の越前海岸とカニを構成しているのであるが、夜長を火鉢のそばで古書など読んですごしたかったら、オスの蟹の甲羅を炭火にのせ、その中身の“味噌“に少しずつ酒を入れて煮るとよろしい。お箸の先でかきまぜているとやがてトロトロの灰緑色のものができあがるが、ちょっとホロにがいところがある。酒の香ばしさが熱い靄となってゆらめいている。」(「越前ガニ」より/『開高健ベスト・エッセイ』収録)
毎年この時期になると思い出す一節。身を縮めながら味わう温かい酒と海の恵みのほろ苦さ。読むと頭の中が蟹で埋め尽くされてしまう人も多いのでは。このエッセイの後半に水仙が出てくる。「越前海岸は冬のさなかに水仙が咲くので有名である」。毎年12月の開高忌にも飾られるその花は、小さな鈴のような花弁から甘く華やかな香りを漂わせる。(平)
写真は、ちくま文庫の『開高健ベスト・エッセイ』。「越前ガニ」は新潮文庫『地球はグラスのふちを回る』にも収録
episode.69
「あれほど広大で濃密で聡明な、また、ときほぐし難く錯綜した、思考の肉感の世界をペンで切りひらいておきながら、もっとも単純な正義への衝動を失っていない。四方八方を完全に閉じられた、敗れることのわかりきった広場へ殴られにでかけている。書斎で彼は、何度となく、あらゆる角度から、知識人の非行動性についての憎悪と焦燥と絶望を描いたが、自身は明晰なままでとどまっていられないのだ。」(「サルトルとの四〇分」より/『声の狩人』収録)
アイヒマン裁判や核実験後のソ連など、世界的ニュースの現場を追ったルポルタージュ集で、フランスの内乱状態にコミットする作家サルトルの印象を記した。30代の若き開高自身が目指した作家像ではないか。(池)
写真は、光文社文庫版『声の狩人』(「開高健ルポルタージュ選集」の1冊)
episode.68
「たそがれ時か。陽がおちかけて街が焼ける。壁がほんのり酔う。道が微熱をおびた顔をだす。ガス燈にまだ灯は入らないが、窓や店はもう眼を閉じはじめている。……」(「モン・セニの街」/『開高健のパリ』所収)
みすず書房の「現代美術15 ユトリロ」(1961年2月刊行)では、芥川賞をとってまだ3年の新人作家・開高が「解説」とユトリロの絵24点の「キャプション」をまかされている。文章の調子からみると、解説部分は初めてパリを目にする前に書き、キャプション部分は帰国(1960年12月)直後、〆切ぎりぎりでぶちこんだようにもみえる。ユトリロの描く街角の、人の気配のない絵に、どこか浮き浮きするパリ体験の余韻が投影されているようにおもえる。壁がほんのり酔う!(菊)
写真は、「現代美術 ユトリロ」の絵と文章、パリ・エッセイをあつめた単行本『開高健のパリ』(集英社 2019年)から当該のP70~71。
episode.67
「私はこの都を主人公にして一つの小説を書こうとも考えて探訪しつづけてきたのである。私の犯した失敗は一つ一つ見聞するたびに原稿を書いたということである。よい商人は品物を深くかくすものだという原則をやぶって、一つ一つの原料の表を書いてしまったのである。」(「サヨナラ・トウキョウ」より/『ずばり東京』)
大阪出身の“異邦人”が1964年、前回のオリンピック開催直前の沸騰する「多頭多足の都」を探訪した連載ルポの最終回の一節。半世紀以上たって、書かれた事象の多くは消え失せ、変容し、そのとき時代が感じていたノスタルジーすら変質してしまった。しかしこのルポは何年たってもおもしろい。「ディテールにこそ神は宿る」と言っていた書き手の目線、ものごとを“面白がる精神”のようなものが活き活きと感じられるからだとおもう。(菊)
写真は、光文社文庫「開高健ルポルタージュ選集」の1冊
episode.66
「わたしは私を探しにここまで来た。歩いたよ、49歳。いろんな酒にも逢(あ)ってきた。いろんな女にも逢ってきた。男もナ。問題もあったし、解決もあった。傑作もあったし、小品もあった。現実はいつも私に衝動をくれて、そのつど百人一首と酒瓶(さかびん)をバッグにつめた。俺は何処へ行くのか。見えたか!? まだか!? さて……。されど。漂えど沈まず。おい、ウィスキーをつきあうか。」(「わたしは私を探しに」より/『言葉の落葉 Ⅳ』収録)
初出は〈昭和55年5月「サントリー」放送広告〉。テレビCMで流れた。北米南米大陸縦断9カ月の旅の途中で収録したものだったらしい。(菊)
写真は、このときのCMナレーションの原稿が他にも何本か収録されている単行本『言葉の落葉 Ⅳ』
episode.65
「導火線、起爆剤、触媒、あきらかに彼はその役をみごとにやってのけたし、予知能力は絶大であったらしいが、本質的には一人のアジャン・プロヴォカトゥール(煽動者)にすぎなかったのではあるまいか。それでなければあの未昇華の仰々しさやおしつけがましさの説明がつかないのではあるまいか。」(「ピカソはほんまに天才か」より/『ピカソはほんまに天才か』収録)
文学、映画、絵画を論じたエッセイを集めた1冊。若き日の開高はわずかな資金を頼りにパリやマドリードで美術館めぐりの日々を過ごす。モネやドガ、パウル・クレー、そしてゴヤには素直に感銘を受けるが、20世紀を代表する画家と言われることも多いピカソにはきっぱりと「ノー」を突きつけた。自分の目で見て、自分で判断する。潔さが開高らしい。(池)
写真は、1991年刊の中公文庫。開高の若いときからの盟友・谷沢永一の編集・解説
episode.64
「いずれ私を射殺する人間がヒゲもろくに生えていない少年であることを見とどけて、亜熱帯の正午前の白熱した赤土を踏みつつ私は緊張していた。何のために私は死なねばならないのか。ヴェトナム人でもアメリカ人でもない私が何故こんな赤土地帯のジャングルのほとりで死を待機しているのか。こんなところにこなくとも、サイゴン、香港、パリ、ニューヨーク、どこでも私は暮せたはずだ。」(「兵士の報酬」より/『歩く影たち』所収)
1965年、ベトナム取材の直後に発表した短編小説から。語り手=「私」は新聞社の外信部記者という設定になっている。何故ここにいるか。何故この光景を見なければならないのか。書かなければならないのか。『輝ける闇』に結実する前の、しかし鮮烈で生々しい書き手としての「迷い」もそこには見える気がする。(菊)
写真は、「兵士の報酬」をふくむ短編集『歩く影たち』を全編収録した集英社文庫と、「兵士の報酬」をふくむ『開高健短篇選』(岩波文庫)
episode.63
「正常すぎるほど正常な世界の一隅、彼にとってそれは異常で非地上的なものに映った。求めて得られぬ欲望がこうした作品を生んだ。ここではすべてのものがその位置と価値をあたえられている。石は石であり、橋は橋である。解釈はないのである。眺めることに悦びがあればそれで見る人はつとめを果したこととなる。あどけない、無邪気な、たのしい作品である。」(「現代美術15 ユトリロ」より/『開高健のパリ』所収)
パリ北部モンマニー村の風景を描いたユトリロの作品《屋根》に開高がつけた文章。ユトリロの傑作は若い、アル中だった頃の作品にしかないとおもっている開高の、「解釈」とは違う独特の「画を見る悦び」もつたわってくる。(菊)
写真は、ユトリロ論を中心に開高健のパリについてのエッセイを再編集した単行本。開高が文章を付けたユトリロ作品24点すべてをカラーで掲載している絵本のようなつくり
episode.62
「経験がないと感知できないことが厖大にある。けれど、経験があっても感知できないこと、これまた厖大である。経験には鮮烈と朦朧(もうろう)がほぼ等質、等量にある。この魔性が人を迷いつづけさせるようだ」(「パンに涙の塩」より/『こんがり、パン』収録)
開高は新宿の映画館で、弁当を持ってこられずとぼとぼ歩く少年のニュース映像を見て思わず涙を流した。そしてふと、友人にパンをめぐまれ恥ずかしさを感じた少年時代の飢餓体験がなければ、こんな反応は起こらなかったかもしれないと考える。主観に流されない開高の観察眼は自身にも及んでいる。(池)
写真は、「パンに涙の塩」ほかパンをめぐるエッセイを集めた河出書房新社のアンソロジー
episode.61
「かねがね、私、食べれば食べるだけいよいよ食べられる御馳走はないかものかしらと、夢想していた。寝言かたわごとに似ているが、真剣に思いつめることもある。ローマ時代の貴族やその真似をした菊池寛のように食べて満腹したら口に指をつっこんでモドして腹をあけちゃあまた食べるというのではなくて、食べるあとあとから形も痕もなく消化されてしまっていくらでも食べられ、そして眠くならないというのがほんとの御馳走というものではあるまいかと思うのである。」(「王様の食卓」より/『最後の晩餐』収録)
超一流シェフによるフルコースからキャットフード、はては人肉食まで、あらゆる食を俎上に載せたエッセイ集。この一文は究極のグルメの定義だが、文学も同じだと開高は言う。もちろん、開高自身の文章がこの定義にあてはまることはいうまでもない。(池)
写真の単行本は1979年文藝春秋刊
episode.60
「朝は夜になる。今日は昨日になる。花は種になる。歌は谺(こだま)になる。現在は一瞬ごとにとどめようなく過去となる。されば諸君、一瞬に永遠をかいま見ようではないか。知恵が哀しみにならぬうちに。一歩立ちどまろうではないか。」(「朝は夜になる」/『言葉の落葉 Ⅳ』所収)
出典に〔昭和52年7月「サントリー」放送広告〕とある。当時こう語りかけられて立ちどまらなかった「諸君」が、どれぐらいいただろうか。いまは、どうだろうか。(菊)
『言葉の落葉 Ⅰ~Ⅳ』は1979年~82年に出た、その時期までの単行本未収録エッセイを集めたもの。同じく全4巻の角川文庫版が出ている(タイトルは『ALL MY TOMORROWS』)
episode.59
「おそらくありとあらゆる人間悪を考えることと想像することで昼の世界を夜の世界とおなじように生きぬいたダンテや、サド侯爵や、ドストエフスキーも、あの上部シレジアの低湿地帯の骨の原と自分の書斎のあいだに壁をつくることはできなかったであろう。ナチスは彼らをしのいだ。いや、人間の持てる、ありとあらゆる悪と残虐についての想像力を、彼らは、いっさいがっさいあの松林のなかで消費しつくした。」(「森と骨と人達」/『開高健短篇選』収録)
アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねた主人公。人間の体をカーペットや肥料や石鹸の原材料として利用しつくしたナチスの蛮行は事前に知っていたが、現場に立つと自分でも驚くほど打ちのめされてしまう。読む者も、現実に触れることの意味をあらためてかみしめることになる。(池)
写真の岩波文庫版の表紙のサイン。正式な読みは「たけし」だが、「Ken」をつかうことも多かったようだ
episode.58
「泡はこまかくて、白くて、密であって、とろりとしている。よく冷やしてあるので、チューリップ型のグラスは汗をかいている。グッと飲む。クリームのような泡が舌にのる。その濃い霧をこして、とつぜん清冽な、香り高い、コハクの水がほとばしる。クリームの膜が裂けて、消える。清水が歯を洗い、のどを走り、胃にそそぎこむ。目が薄ッすらと閉じかけて、パッとひらく。やがて腸が最初の通信を発する。チカチカと熱くなるのだ。」(「ピルゼンのピルゼン」/『アンソロジー ビール』収録)
名だたる飲んべえたちのビール賛歌集。開高は世界一とも言われるチェコのビールのうまさを短い文章でたたみかけている。飲みたい。(池)
写真は、「ピルゼンのピルゼン」ほかビールをめぐるエッセイを集めたPARCO出版のアンソロジー
episode.57
「会社でも、こういうパーティーでも、満員電車でも、不快な人物、口をききたくない人物、わけもなく一途(いちず)な反感を抱きたくなる人物に出会ったとき、微笑しながら苦痛をそっと処理する方法をいろいろ考えたが、結局のところ、その男の弔辞を頭のなかで組み立てて暗誦することにした。」(『夜と陽炎 耳の物語2』より)
転勤で大阪から東京に出てきた「語り手」が、仕事(洋酒会社の宣伝部)で参加する立食パーティーでの居心地の悪さにふれた一節から。語られるのは、まだ『パニック』で文壇デビューする前の自分=開高健。この長編小説の前半『破れた繭』は幼少から大阪時代までを書いた自伝的小説『青い月曜日』と重なるが、「音の記憶」として語り直され、この後半『夜と陽炎』ではそれ以降、『オーパ!』や南北アメリカ縦断紀行までの自分を「“私”という単語抜き」でふりかえっている。独特の人間観察や内白が、その濃密な1行1行からあふれかえるようで、すごい。(菊)
写真はその自伝小説の岩波文庫版(2019年)
episode.56
「先生が学校でつめこんだのを家へ帰ってからだすのが宿題で、給食とおなじことだ。健は給食をたべて家へかえってからトイレに入るだろう。それなら宿題をするみたいにだしたものがどうなるか、みとどけなければいかんじゃないか、というのです。おかあさんに聞いたら、新聞記者のおじさんは足で書くからいい勉強になる、いってきなさいといいました。」(「ぼくの“黄金”社会科」より/『ずばり東京』)
1964年のオリンピック前夜の東京を描いた伝説のルポルタージュ。「週刊朝日」に1年にわたって連載された。毎週の〆切にヒイヒイいいながら、それでも毎回「小説家の文体練習のつもり」で独白体、会話体、いろんな書き方を試みている。東京の下水処理場を見学・レポートする回で選ばれたのは、小学生の「健」が書く宿題の文体。全編に「うんこ」「におい」が頻出するが、このひらがな文体に救われる。この宿題をたのみにやってきた「新聞記者」にも「おかあさん」のコメントにも、実在のモデルがありそうだ。(菊)
写真は初代文庫(文春文庫 右)といまでも手にはいる光文社文庫(左)
episode.55
「生きる歓び」(「第八章 愉しみと日々」キャプション/『オーパ!』より)
ブラジル・アマゾン河口の街・ベレンの市場でのカットを集めた見開きページにつけられた小見出しふうキャプション。魚やニワトリ、バナナ、ピメンタ(トウガラシ)、主食のマンジョッカ(タロイモ)や名前もわからない果実・柑橘、サンダルやシャツの山……。パンをかかえた少女の笑顔、魚店主のニンマリ顔。ひとびとの生活の諸相があふれんばかり。アマゾン釣り紀行『オーパ!』の世界は釣り・冒険だけでなく「歓び」にもあふれていて、文章も写真も明るい。この旅には「戦争の影」がなかったためではないか、と感じてしまう。(菊)
写真はオビの付いたままの初版単行本。この大判写真集のカバーに、開高健の写真でなく、黒ピラニアのドアップを選んだデザイナーの勇気!
episode.54
「教室の議論はどこを切っても円周ばかりだが、工員たちの猥談はまざまざと女の声や、ふるえや、肉の重さや、暮らしの痛苦を果敢にはねのける切実なほとばしりにみたされているのである。どこを切っても中心しかないのである。円周がどこにもない。」(「戦中も戦後も端境期の世代」/『頁の背後(全)』収録)
学校の優等生ながら苦学生でもあった開高はアルバイト先の町工場で庶民の声に触れ、人生のリアルを感じとった。もし開高家が裕福であれば、開高文学は違うものになっていたかもしれない。この本は「開高健全作品」(新潮社、全12巻)と「開高健全ノンフィクション」(文芸春秋、全5巻)の各巻末用に書き下ろされていたエッセイを集めた1冊。(池)
写真の単行本『頁の背後(全)』は開高健記念会の特別編集(2021年)。茅ケ崎の開高健記念館か記念会HPからしか手にはいりません。
episode.53
「この二年間に書いてきたものは、創作メモの欄外余白にあるものだった。それは私の小説のために使うイメージが元金とすれば、そこから分泌された利息みたいなものである。その利息がここで尽きた。」/(「橋の下をたくさんの水が流れた」より/『開口閉口』収録)
週刊誌「サンデー毎日」の連載をまとめたエッセイ集。最後の一編で、連載を終える理由を説明した。開高にとってエッセイは、本業の小説にそなえたシャドー・ボクシングだった。それでも、どれもメチャメチャ面白いのが開高の開高たるゆえんなのだが。(池)
写真の単行本は1976、1977年刊だが、連載開始は1975年、開高が茅ケ崎の仕事場(いまの開高健記念館)で、念願だった一人住まいをはじめて「まだ月単位でかぞえたほうがいい」頃らしい。
episode.52
「これまでに何百万回、世界のあちらこちらで書かれたことかと思うが、それでもやっぱり、ギリシャの海は青い、と書く。空が水になったようである。朝、昼、夕方と、時刻によってそれぞれ色も輝きも変り、一日がゆっくりと発芽し、熟し、果てていくままに海も呼応して顔を変えていく。」(「ヒドラ島の沖でたった一匹ツノザメを釣ること」より/『フィッシュ・オン』)
開高2度目となるギリシャのこと、釣りが不作であっただけでなく、「ギリシャ旅行のいたましさ」と書いている。古代ギリシャの輝かしいイメージとの落差を感じてしまったのだろうか。つい、それにつづくエーゲ海のこの意地をはったような描写を引用してしまいたくなる。(菊)
写真の単行本『フィッシュ・オン』(1971年刊)のあとがきにはないが、新潮文庫版(1974年刊)に「釣師はホラを吹く癖がある。それも釣技のうちにいれていいのではあるまいかと思われる。」なんて、ちょっと言い訳じみた文言が……。単行本「あとがき」では、雑誌連載時にあったビアフラ戦争などの個所を別の本にまわした理由に短くふれているだけ。
episode.51
「ある夕方、せかせかとミナミの千日前をとおりかかると、焼けのこりのビルの一室でふいにシンバルを一撃する者があった。ジャズの練習をはじめたらしく、つづいてトランペットが高く長くいななき、ドラムが二撃、三撃、底深く咽喉声(のどごえ)で唸(うな)った。しかし、最初のシンバルの一撃の瞬間に、怒り、決意、歓(よろこ)び、昂揚(こうよう)のすべてがこめられていた。その響きは身ぶるいして炸裂(さくれつ)し、すべての事物を打撃しつつ荒野をわたっていき、ふりかえると夕陽がふるえたかのようであった。光景が音そのものに変るのをこのときはじめて経験した。」(『破れた繭 耳の物語1』より)
開高健30代なかばに書いた半自伝的小説『青い月曜日』と、その20年後、「耳に記憶だけで書く」と宣言してはじめた回顧的な連載小説「耳の物語」。重なるエピソードもあるがまったくちがう文章になっている。このシンバルの一節は前者にはない。(菊)
写真は「没後30年」を期に出た岩波文庫版「1」「2」。
episode.50
「この都には、うまく説明できないけれど、何となく愛するか憎むか、二つのうちどちらかだ、といいたくなることがあった。タマリンドの鬱蒼とした並木道に射す朝の日光のたわむれか。チュ・ドー通りの冷めたい眼つきの主人が佇んでいるブーティクの飾窓にあるフランス香水の瓶の燦(きら)めきか。ショロンの町角の屋台で食べるヒヨコの入ったゆで卵“ビトロン”の味か。プラスチック爆弾で吹きとばされた酒場のコンガイ(娼婦)のハイヒールをはいたままの太腿の裂け口か。たえまない頭痛か歯痛のような武装ヘリコプターや偵察機の旋回音か。それとも阿片か。」(「洗面器の唄」より/『歩く影たち』所収)
サイゴン(現ホーチミン)には十年間のうち三度訪れ、そのたびに数ヵ月、仮住まいしたと書いている。最後の訪問は1975年サイゴン陥落のさらに2年も前。だが、本人には「これが最後」という意識があったらしく、5ヵ月の滞在となった。(菊)
写真は濃密な旅の短編集『歩く影たち』をまるごと収録した文庫(集英社 2020年刊)。
episode.49
「見ていると父はボートを右にまわし、左にまわしして操りながら、子にたえまなく声をかけ、注意し、はげましてやるが、けっして助けてやろうとはしない。それが援助である。自分でかけた魚は自分であげなければいけないのだ。着手したらさいご一人でたたかえ。やりぬけ。完成しろ。夢中になって竿にしがみついている子と、たえまなく声を発する父と、二人を乗せてボートは水と大魚にひかれて下流に流れていった。」(「キング・サーモン村のキング・サーモン・インに泊ってキング・サーモンを釣ること」より/『フィッシュ・オン』)
はじめてのアラスカの川で、釣りのリールを巻きながら目にした光景。「子は生涯今日を忘れないであろう。」と続けている。この書き手の釣り師・観察者である開高健が、早くに父を亡くした子であったことを知ると、文章がまた格別の色合いをおびる気がする。(菊)
『フィッシュ・オン』は現在も、秋元写真多数の新潮文庫で出ている。大判で見たい読者はきっと多いだろう。
episode.48
「遠いけれどあざやかでなつかしい記憶がよみがえる瞬間にはそれにつれてさまざまなものが同時にまるで子ネズミの群れのようにつぎからつぎへとあふれだしてくる。アセチレンの刺すような匂いをかぎつつ屋台で一コまた一コとタコ焼きを頬ばっているうちにチョボ焼きのことを思いだした彼はぼんやりとなった。」(『新しい天体』)
読点なしで一気につなげた文章自体、記憶が数珠つなぎに呼び起こされる様を表現していると思う。タコ焼きを食べてチョボ焼きを思い出し、また別の食べ物につながっていく。意味は違うが、「食物連鎖」という言葉が頭に浮かんだ。(池)
写真のタイトルわきの文言「新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」(サヴァラン『美味礼賛』)は本の題辞にあたるもので、開高健にしか書けないこの「食味探訪」小説のタイトルの由来と展望がみえる。
episode.47
「近年私はとみに記憶力が減退し、昔はおぼえすぎて苦しんだのに、あべこべとなり、忘れすぎて困るようになってきた。歌をうたうことも少くなったが、たまたま何かのはずみにうたってみると、あちこちに空白ができて立往生してしまう。」(焼跡闇市の唄)より/『白昼の白想』)
洋曲が好きだった開高健、41歳のときのエッセイ。若いころ乏しいふところで観まくった外国映画や、借りたレコードやらで棒暗記、丸覚えしたドイツ語、フランス語、英語などの歌のことにふれている。歌だけのことではなく「昔はおぼえすぎて苦しんだ」という一句には苦いリアリティーもありそうだ。(菊)
写真の単行本には「開高健・エッセイ・ 1967-78」というサブタイトルが。1979年初版で、すばらしく面白いのにどういうわけか文庫になったことがない(一部エッセイ選集には採られているものはある)。
episode.46
〈川のなかの一本の杭と化したが、絶域の水の冷めたさに声もだせない。芸術は忍耐を要求するんだ〉
(「キング・サーモン村のキング・サーモン・インに泊ってキング・サーモンを釣ること」より/『フィッシュ・オン』所収)
『フィッシュ・オン』(写真・秋元啓一)のアラスカ篇、冒頭部分の、川に立ちこむ開高の後ろ姿をとらえた写真につけられたキャプション。この一句にしびれてアラスカにわたった釣り師はものすごく多いはず。(菊)
写真は秋元さんの四十九日に、葬儀に参列した者に返礼された『フィッシュ・オン』復刻版(第二刷)にはさみこまれていた一文。葬儀のときに開高健が読んだ弔辞とは別のものだが、開高の手になる。
episode.45
「目がさめたら夜だった、というような起きかたはしたくない。ただそれだけのことだが、不意をうたれたような気持がする。目をあけた瞬間、どういう姿勢をとってよいのかわからない。いつも、ひどく薄気味わるいかんじがする。どうしても午後に眠る必要があるのなら、まだ昼の気配がいくらかのこっているような夕暮れに目をさまして体のなかへすこしずつ夜が入ってくるのを待ちうけることのできるような時刻に待機できるよう、あらかじめ計算をしてから枕に頭をおとしたい。」(「屋根裏の独白」より/『開高健全集第3巻』収録)
この短編の主人公は14歳で父を失った青年。食うや食わずの貧しい暮らしのなか、何者かになろうともがく。12歳で父を亡くした開高自身の苦しい経験を反映しているようでもある。(蛇足。作品には描かれていないが、主人公のモデルはその後、世界にその名をとどろかせることになる)(池)
世界史上最悪級の人物の若き内面に、おのれの想像力だけで迫ろうとした、小説家に成りたての作家のすがた。写真は新潮社から出た全集、「屋根裏の独白」収録巻。
episode.44
「氷がうごきだした。独楽(こま)がまわりはじめた。」(「第一章 神の小さな土地」より/『オーパ!』)
開高健のアマゾン紀行『オーパ!』の第1章、この冒険の計画がうごきはじめた瞬間のことをこう書いている。熱帯の釣りについての記述なので「水がうごきだした。」と読んでしまうかもしれないが、単行本でも文庫でも「氷」となっていて、開高の直筆原稿でもそうなっている。流氷がうごきだした→春が来た→漁の季節がはじまった──。この表現を開高さんは盟友である北海道の釣り師から教わっていて、このワクワクする瞬間につかったのだとおもいたい。(菊)
写真は『直筆原稿版 オーパ!』(集英社刊)より、当該箇所。
episode.43
「私たちはそろってチャシュメンを食べにいくこととした。」(「姿なき狙撃者! ジャングル戦」より/『ベトナム戦記』)
開高健とカメラの秋元啓一はベトコンと南ベトナム軍の壮絶なジャングル戦に従軍し、危ういところで生還した。そのことを書いたクライマックスといえる章の最後に、1行あけてこの文言が置かれている。食いしん坊・開高の面目躍如? いや、戦死者・負傷者多数だったこの敗走戦を、英字新聞がさほどではなかったかのように書いている記事が直前に引用されてあり、実態を見ない報道に対する痛烈な皮肉をあらわすために選び抜かれた1行ではなかろうか。「そろってチャシュメン」だもんな。(菊)
写真は2021年に出た新装版『ベトナム戦記』(朝日文庫)。「週刊朝日」に連載された元原稿の「ベトナム戦記」にこのチャシュメンの文言はない。
episode.42
「父を疑え、母を疑え。師を疑え、人を疑え。しかし疑う己れを疑うな。」(「二二歳はどん底だった」より/『一言半句の戦場』所収)
「インドの古い言葉」として就職情報誌のインタビューの最後に引いている言葉。出典はわからないが、媒体と読者を考えると、開高流のひねりとか創作とか励ましがはいっているのかも知れない。(菊)
写真は開高健の没後に出た大部の「最後の新刊!」。エッセイ、コラム、聞き書き、対談など内容は多様で、語り下ろしも多いが、単行本初出がほとんど。オビには「ひとつの時代を築き、忘れがたい哄笑を遺して去った作家、没後20年。甦る! あのユーモア、切れ味、洞察、人間味!」とある。立木義弘氏の開高写真も多数。
episode.41
「料理店へ行ってカツレツをおごってもらった。ヒマワリの種子の油で揚げたものである。しこたま食べたら、翌日になって、真っ黒の、やわらかい、べたべたした、たよりないくせに熱くて油っこいという妙なウンコがでた。わたしの経験によると、こういうのがでるようになると、いよいよ体が“日本”を離れて本格的に“外遊”がはじまったというきざしなのである。」(「地球はグラスのふちを回る」/『地球はグラスのふちをまわる』収録)
「腸にポンとヴィザのハンコをおしてもらった証拠だと思えばよろしい」とも。海外経験豊富な開高のエッセイは、実践的なガイドブックとしても頼りになる。(池)
写真はいまも版を重ねている新潮文庫。これの単行本はそもそも存在しない。
episode.40
「教室では数学は計算としか教えられなかったが、自身でやってみるとイメージの遊びであるらしいと感じられた。豆ランプの灯で英語の辞書を繰って単語の身元調べをしたり、数式をほどいたり、蒸溜したりしていると、シャーロック・ホームズのような名探偵になれた気分に、ひとりで酔うことができた。教室に出るのはそれらを解読するための基礎知識とヒントを得るためだけといっても、過言ではなかった。」(『破れた繭 耳の物語*』)
開高は生涯いろんなかたちでじぶんの少年時代にふれているが、勉強をじぶん流の娯楽として楽しんでいた気配。見る角度を少し変えるだけで、何げない日常も詩にかえてしまう小説家の本能がこんなところにもうかがえる。(池)
半自伝的長編「耳の物語」の前半『破れた繭』の新潮文庫版(下は後半『夜と陽炎』)。それぞれのタイトルの「詩心」をあらためておもう。
episode.39
「喜劇。悲劇。西部劇。家庭劇。笑劇。ミュージカル。マンガ。探検。戦争。記録。看板を見て私はそのときどきどれだけの気力がのこっているかを測ってから闇に入っていく。そして科白(せりふ)やシーンのちょっとしたきっかけにそよいでたちあがってしまい、またつぎの館へせかせかと入っていく。顔の見えない人びとの溜息、笑い、舌うち、声になりきらない嘲(あざけ)り、発作としての哄笑、それぞれのいくらかずつを破片として私は吸収し、科白や、視線や、光景の手のつけようのない玩具箱となって穢(よご)れた舗道を歩いていく。」(『夏の闇』より)
「映画は私の大事な趣味です。趣味は趣味として取っておきたい」と開高健は言っていた。その「趣味」について、大事な仕事(長編小説)のなかで、映画館にはいる自分をこんなふうに書いている。趣味、とだけではとても言い表せないものの様だった。(池)
初代単行本『夏の闇』のオビに著者は、「四十歳のにがい記念として書いた。この作品で私は変わった。」と書いた。(手書きの「PART II」については「折々の開高健 12」をご参照ください)
episode.38
「旅に出て人と事物を観察し、書斎にもどって心と言葉を観察する。たえまなく揺れてさだまらない心にそそのかされ、それを追ったり追われたり、“歩く”と“書く”の両極をあわただしく往復するうちに時の大河をうかうかと下(くだ)ってしまう。」(「超薄型の、蓋付の、懐中時計はいいもんだ」より/『生物(いきもの)としての静物』所収)
「精選して使いこんだ小さな物たちを通して旅と冒険の記憶を綴った、名エッセイ集」(復刊単行本のオビ)から、懐中時計愛を書いたなかの一節。旅と書くこと。旅と書斎。この連載エッセイを開始する際、開高さんは「この連載には一人称“私”は使わない」と宣言した。従来のとは画期的にちがうエッセイの書き方らしかった。今時のブログなんかのつぶやきと似ている気もするが、やはり何かが決定的にちがうような。(菊)
写真は復刊された単行本『生物としての静物』(河出書房新社刊)。
episode.37
「どこかで音楽が鳴っている。 眼をさますと汗にまみれて寒冷紗(かんれいしゃ)の蚊帳のなかにころがっていた。ゴザ一枚の床几(しょうぎ)に寝たので背が痛かった。鎧窓から小川のような日光が流れこんで、傷だらけの床に射している。くたびれきった蚊帳にもキラキラと斑点が踊っている。時計を見ると八時である。夜が明けて一時間にしかならない。」(「第一章 魔法の魚の水」/『渚から来るもの』より)
『輝ける闇』の祖型といわれる長篇小説の冒頭。ともに語り手の「私」が目覚めるところから始まる。この作品ではベトナムを思わせる架空の国・アゴネシアの首都。『輝ける闇』では南ベトナム軍の前線テント内のベッド、夕方。同一の取材体験をもとに練りあげられた、ふたつの物語の語り出しにシビレる。(菊)
写真は『輝ける闇』の出版12年後に出された単行本。文庫にもなったが「開高健全集」(新潮社)には収録されていない。
episode.36
「おばさんはたのもしく声をたてて笑い、どこかで声がしたのでハイ、ハイといって、チョコマカとそちらへ小走りに走っていった。小さなその後ろ姿は仕事をするのがたのしくてならないといっているようであった。見ているとのびのびして体があたたかくなってくるようなのだ。なぜこのウナギの寝床のような店がギッシリみっちりと客でいっぱいなのか、彼はわかったような気がした。」(『新しい天体』)
味は材料で決まるものではない。おばさんの笑顔が、おいしい空間を作っている。引用にある「彼」は”相対的景気調査官”なる架空官僚。『新しい天体』は、私(筆者)が「彼」の行動を通して描く小説スタイルの食ルポ+。(池)
写真のタイトル下の文言も見のがせない。
episode.35
「蔡の厳選したこの果実をサンパンの舳(へさき)にころがし、もしそれが風上であると、一晩じゅうたえまなく微風、軟風のたびに香りが流れ、きれぎれながらいつまでもつづく。豊熟の一歩手前のこの果実はむんむんと芳烈な香りのさなかにくっきりと爽涼をも含み、まるで細い、冷たい渓流が流れるようなのだ。」(「貝塚をつくる」/『開高健短篇選』収録)
ベトナム、釣り、グルメ……。短編小説「貝塚をつくる」には開高の魅力が詰めこまれている。この場面で取り上げられたのは東南アジア名物「ドリアン」。強烈な匂いで最初は腰を引いてしまうが、慣れると懐かしくなる。「芳烈」と「爽涼」が共存しているからだと、開高が教えてくれた。(池)
「貝塚をつくる」は現在、写真のふたつの文庫に収録されている。
episode.34
「発電機やボンベや水洗便器のたどった旅路を私はぼんやりと考える。それらはすべて地雷でズタズタの十三号国道を輸送大隊によってはこばれたにちがいないのである。軍用トラックに積みこまれ、前後をタンクや武器輸送車に防衛されてはこばれたにちがいないのである。あの国道は《死の十三号道路》という異名がついていて、フランス軍がたたかっていた頃から有名な道路なのである。誰か待伏せに出会って便器のために命を流してしまった者がいるのではあるまいか。」(『輝ける闇』)
イラク戦争のとき、トラック運転手として現地で働いたことのあるフィリピン人男性に話を聞いた。武装勢力に襲われ、一緒にいた警備員は殺されたという。でも危険な分、稼ぎは地元よりずっといい。「仕事は家族を養うため。仕方ないね」。そう言って肩をすくめた。(池)
写真は初代単行本『輝ける闇』。開高自ら書いたオビ文がすごい。
episode.33
「この古い、朽ちた、華やかな石の街には森のような夜が訪れる。たえまなく遠くに潮騒のような自動車の流れる音がひびいているが、部屋のなかでは凍てた夜が肉を切って骨までひびく。ときどき獣が鋭い叫び声をたてるのは、自動車が街角で急カーブを切るきしりであった。マロニエの枯葉一枚、一枚にも人の指紋がついているかと思えるこの街に、ジャングルのような夜が沈んでいる。」(「タケシのパリ」より/『あぁ。二十五年。』所収)
若い開高に「ジャングル」を感じさせた街、パリ。当時の日本青年にとって文学と芸術と食の憧れだったこの街を初めて訪れたのは、開高2度目の海外、29歳のときだった。「街に留学した」つもりもあったらしく、高揚そのものの文章をたくさん残している。(菊)
写真は、開高が残したパリについてのエッセイ類から再編集した単行本『開高健のパリ』(生誕90年記念刊)。
episode.32
「なにしろ初めて外国へ行ったとき、私はすでに世帯があり子供があり、世間知も積み、サラリーマン生活もやり、いろいろな垢(あか)がついてしまっていた。だから、長い間、憧れていたパリへ行って、キャフェの椅子にもたれて若い女の子のスカートが揺れるのを眺めてても、そのスカートの奥がどうなってて、何があって、それに手を伸ばしたらどうなるか、頭で先に組みたててしまう。ちっとも面白くない。やっぱり旅というのは、若くて貧しくて、心が飢え、感覚がみずみずしいときにすべきなんだと、つくづく思わせられたな。」(「旅は男の船であり、港である」より/『地球はグラスのふちを回る』)
単行本未収録エッセイをおもに集めた、いまでも版を重ねる新潮文庫。この1篇が若い男性読者向けの語り下ろしと知りつつ、その“らしさ”に脱帽する。「スカートの奥」うんぬんは本音か、ジョークか、韜晦か、それ全部か?(菊)
episode.31
「いくらか酔った眼で眺めると、唐辛子のように怒ってばかりいる女が、自身は一滴も飲まないか、カナリアのようにすするだけで、あとは男たちがたわいもなく叫びかわす光景を面白そうに眼を輝かせて眺めているだけという姿態には、日頃の青酸ッぱいトゲトゲとはうらはらの“女”ッぽさがあって、そんなことは眼のすみにひっかかる一瞬の光景なのだが、それゆえにいよいよ酔わせられた。」『破れた繭 *耳の物語』)
幼少期から学生時代までを描いた、自伝的小説の前半。この場面では、のちに妻となる詩人・牧羊子と出会い、惹かれてゆくプロセスを自ら腑分けした。ギャップに萌え、ドキドキする青春が文豪にもあった。(池)
写真は初代の『破れた繭』と後半『夜と陽炎』の単行本(1986年)。雑誌連載時のタイトルは「耳の物語」。
episode.30
「ある朝遅く、どこかの首都で眼がさめると、栄光の絶頂にもいず、大きな褐色のカブト虫にもなっていないけれど、帰国の決心がついているのを発見する。」(「玉、砕ける」/『歩く影たち』所収)
この旅の名短篇の、この書き出しの1行を最初に読んだときのことは忘れない。誰か英国の大詩人と、カフカの変身、の匂い? 「帰国の決心」をするような旅をしたことがないなあと思った。いつもどこかホッとしながら、帰ってきた。(菊)
episode.29
「驚くことを忘れたこの時代に驚くことの切実さを知らされた。心は淋しき狩人である。驚くことを求めてさまよい歩く。驚くことを忘れた心は窓のない部屋に似ていはしまいか。」(「オーパ!」幻の前書き より/直筆原稿版『オーパ!』)
アマゾン紀行『オーパ!』連載初回に開高が書いてくれた前書き。ボツにしてしまった。単行本では開高さんがみずから伝説的なリードに書きなおしてくれた。開高健の文章には、その「心の部屋」に風の窓をあけてくれるようなところがあるとおもう。(菊)
写真は開高健没後20年を期して出た直筆原稿そのものを本にした版。
episode.28
「革命、反革命、不革命。革命者は、反革命者に殺される。反革命者は革命者に殺される。不革命者は、あるいは革命者だと思われて反革命者に殺され、あるいは反革命者だと思われて革命者に殺され、あるいは何ものでもないというので革命者または反革命者に殺される。」(「岸辺の祭り」/『歩く影たち』所収)
ベトナム戦の取材体験から醸成した短編小説9篇からなる単行本『歩く影たち』(1979年)。「革命」はより良きものへ向かう動きととらえられていた、あるいはそう信じられていた時代、小説家の屈折した、でも今に通じるかもしれないつぶやき。(菊)
episode.27
「屋台物というのはそのような本にはなかなか掲載されていないのである。そこで彼は、食べにいった屋台のおっさんにそれとなくつぎにはどこへいって何を食べるべきかを聞きだすようにつとめた。」(『新しい天体』)
まるで、犯人の影を追って聞き込みを続ける刑事のように食を追いかける。ルポルタージュの名手だった開高の手法を垣間見るようでもある。(池)
episode.26
「私はしどろもどろになるのを必死になっておさえ、ゆっくりと微笑した。きっと眼がいやらしく鋭く光り、微笑は頬をひきつったように歪(ゆが)めたことであろう。少女が心臓麻痺を起して死んでしまえばいいと思った。
『あなたの英語はすばらしいですね』
私はびっしょり汗ばみながらいった。
少女は口のなかで、ぼんやりと
『……いえ、そんな』
とつぶやいた。」(「らいられら」/『青い月曜日』より)
バイトで飛び込んだ英会話学校。じぶんが昨日おぼえたばかりの英会話を今日生徒に教える日々。ある日、帰国子女の娘が流ちょうな英語で質問してきた。その英語が「爪のさきほども」わからなかった「私」の狼狽と、その窮地脱出の妙。(菊)
写真は初代単行本と最近の文庫本『青い月曜日』。
episode.25
「すべての橋は詩を発散する。小川の丸木橋から海峡をこえる鉄橋にいたるまで、橋という橋はすべてふしぎな魅力をもって私たちの心をひきつける。右岸から左岸へ人をわたすだけの、その機能のこの上ない明快さが私たちの複雑さに疲れた心をうつのだろうか。その上下にある空と水のつかまえどころのない広大さや流転にさからって人間が石なり鉄なり木なりでもっとも単純な形で人間を主張する、その主張ぶりの単純さが私たちをひきつけるからだろうか。」(「空も水も詩もない日本橋」/『ずばり東京』収録)
最近、仕事で隅田川かいわいを訪れることが多かった。勇壮な永代橋に優雅な清洲橋、にぎやかな吾妻橋。水の都・東京には、渡るだけで詩人になれる橋がたくさんある。(池)
写真は「開高健記念文庫」開高健著作の棚の一部。
episode.24
「精神は嘘をつくが肉体は正直である。頭より舌である。」(『新しい天体』)
「自分自身を愛するように隣人を愛せ」。イエスの言葉にはうなずくが、カニを食べているときは例外だ。隣人と分け合うなんてできない。
写真の単行本『新しい天体』のあとがきに「小説家もボクサーとおなじように日頃からたえずシャドー・ボクシングをやっておかなければならない。私としてはいろいろなことのデッサンとしてこれを書いてみた。」と、この「小説ともルポともエッセイともつかない」食談への意気込みを書いている。(池)
episode.23
「食いしん坊の夫婦は日頃どんなに仲がわるくても食べ物の話のときだけは一致するものである。」(『新しい天体』)
開高の妻、牧羊子は料理本を出すほどの料理好きで、中華が得意だったという。この一文には開高の実感がこもっていると思う。(池)
写真は初代の単行本『新しい天体』(1974年 潮出版社)。
episode.22
「“越前”という字を見るたびに私は暗い空、暗い海、暗い雑木林を思いだす。柔らかくて深い新雪に淡い陽が射し、雪片の燦めきとかげろうのたゆたいのなかで一点、二点、まさに灯がついたようにいきいきと、咲くというよりは閃くようであったスイセンを思いだすのである。それを眼にした瞬間に私の荒涼とした内部に何かかすかな音がしたようだったことも。」(「寒い国の美少年」/『眼ある花々』所収)
旅の先々の国で目にした花々を、その姿や記憶や物語としていとおしむように書いている、女性月刊誌の連載エッセイ。ベトナムの戦地から帰ったばかりの小説家を癒したのは“越前ガニ”の美味だけではなかった。(菊)
写真は初代単行本の『眼ある花々』。眼(まなこ)ある花々、はランボオ『地獄の季節』の一節から、らしい。
episode.21
「何日も、何週も、毎日午前に一回、午後に一回、老人の頭を鉈(なた)で粉砕してしまいたい衝動を必死になってこらえて、私は草根木皮をきざんですごした。そしてその結果もらったごくわずかのお給金を、母や妹のためにイモを買ってやることをせず、ただオトナになりたい、もしくは、オトナの真似をしたいという一心からジャンジャン横丁へいってカストリを飲んで消費してしまった。ひどい良心の呵責と宿酔に苦しめられたけれど、それが私の、私にたいする“成人式”であった。
十五歳の冬である。」(「思いだす」/『白いページ』収録)
開高は満12歳のとき父を失って少年家長となる。太平洋戦争後の焼跡闇市の大阪でバイトにあけくれ、ある日、得た金をカストリ(ヤミ焼酎)につかってしまう。のちの大酒客・開高健の「酒」始め。オトナになりたい。“外”へ飛び出したい。34歳のときに書きはじめた自伝的小説『青い月曜日』にもそんな「夜明け前」の想いがつづられている。(菊)
写真は初代単行本と直近文庫の『青い月曜日』。
episode.20
「ヒトラーは『我が闘争』のなかで、政治宣伝の本質をあけすけに語り、大衆というものは女に似たところがあるから、アレかコレかと選択に迷わせてはならないのであって、たった一つ、コウだということを繰りかえし繰りかえし徹底的にたたきこまねばならない。大きな嘘には何かしら人をして真実と信じ込ませるものがあるのだ、と書いている。恐るべき名言である。」(「またまたまた入る・ヒトラーか」/『開口閉口』収録)
女に似たうんぬん、はあまり今日的ではないかもしれないが、政治宣伝の本質というのは「迷わせない」「徹底的に繰りかえす」……ぜんぜん変わっていないだろう。ヒトラーは現代とたしかに地続き。(エッセイのタイトルのなかの「入る・ヒトラー」は「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」のことです)。(菊)
写真は初代の単行本『開口閉口』「1」と「2」。
episode.19
「感情、お金、女、旅、命、言葉、嘘、真実、官能、時間、酒。何でもいい。一つでもいい。三つでもいい。とめどなくでもいい。とにかく“浪費”という言葉にふさわしいような生の浪費をすることが小説家にとっては蓄積になるのだという厄介な原理が金持国でも貧乏国でもおかまいなしに襲いかかってくるので私はつらい。」(「すわる」/『白いページ』収録)
開高健は訳詩でも宣伝コピーでも、ルポでもエッセイでも小説でも雑文でも、なんでも書いてプロだった。人に読まれる文章。カネを出してでも最後まで読みたくなる文章。(菊)
写真は初代の『完本 白いページ』。文庫本でも600Pを超えるけれど、ちょっとずつ読む、でもパタンとあけて読む、でもいける。
episode.18
「キャパは写真のほかに『ちょっとピンぼけ』という本を書いている。第2次大戦従軍記であるが、弾丸とシャッターの合い間に下手なバクチをしてスッたり、ヘミングウェイと大酒飲んで二日酔いになったり、気ぜわしい恋をしたりという生活が描かれていた。それは、簡潔で、かわいて、透明な、とてもいい文章だった。生きるか死ぬかの瀬戸ぎわに自分を追いつめたり、追いつめられたりしながら、いつもたのしむことを忘れず、笑うことを知っていた。
「ああ、こんな男と一パイやれたら!」読みおわると、だれでも小さなため息をついて、そうつぶやきたくなるのである。(「ああ、こんな男と一パイやれたら!」/『一言半句の戦場』所収)
ベトナムで地雷死したカメラマン(享年41歳)の手記についての一文。「ああ、こんな男と一パイやれたら!」。開高健にも、そうつぶやきたくなるところが確かにある。(菊)
写真は現行の文春文庫版『ちょっとピンぼけ』。スタインベックによる前文もしみる。
episode.17
「ビールの泡とかタバコの煙りなどと申すものは完全なプライヴァシーであり、一種のモビール作品であって、そのプツプツと上昇しつづける、また、ユラユラともつれる運動ぶりを眺めるのが放心の愉しみなのである。」(「グエン・コイ・ダン少尉とオイル・ライター」/『生物としての静物』収録)
グラスの中を昇っていく炭酸の泡。言われてみれば、最近じっくり眺めたことがなかった。そんな時間はいくらでもあるのに。忙しがって人生をすり減らしていることに気づく。(池)
写真は「開高健記念文庫」の著作陳列棚の一角。
episode.16
「町は小さくて古かった。旅行者たちは、黄土の平野のなかのひとつの点、または地平線上のかすかな土の芽としてそれを眺めた。あたりのゆるやかな丘の頂点にたつと指を輪にまるめたなかへすっぽり入ってしまうほど、それは小さかった。」(「流亡記」より)
芥川賞受賞の翌年、まだ海外に出たことのない二十八歳の開高が想像力でたどりついた二千年前の中国大陸の奥地=中編小説「流亡記」。万里の長城建設に駆り出された「私」の物語はこんなフォーカスから始まる。後年の、言葉のレンガを積みあげていくような開高世界がすでにここにみえる。最初に読んだとき、この「世界」の硬質さにはじかれた気がした。いまはちょっとちがう。言葉のレンガの階段を一段ずつのぼってその向こうにひろがる地平が共有できる気がする。(菊)
写真は1978年に限定200部でつくられた折り本版私家本。このために書かれた直筆あとがきに「歴史は煮つめていけば文体に尽きるのだと思うことがしばしばあったのでこういう作品がでてきた。」とある(開高健記念文庫で公開中)。
episode.15
「ナンでもカンでも一人前以上にやってのけられる人物が尊重され、貴重がられ、それにふさわしく待遇されている例はたくさんあるけれど、一つか二つのことしかコナせないのに七つ、八つのことを同程度にコナせる人物よりもはるかに高く信愛されるケースがじつにしばしばある。」(「小さな、偉大な戦士ウェンガー・ナイフ」/『生物としての静物』収録)
スマホは現代の生活に欠かせない基本インフラとなった。買い物やネット検索、音楽鑑賞、何でもできる。もちろん読書も。でも、できれば本は紙で読みたい。いつまでも劣化しないデジタルではなく、古ぼけていくモノだからこそ人生の同伴者になれる。(池)
写真は『生物としての静物』の初代単行本(オビ付き)。
episode.14
「瀬戸物でも枯れることがある。肉、魚、油、酢、醤油などから彼らも栄養を吸収し、新陳代謝し、汗をかいたり、呼吸をしたりするのだと私は感ずる。つまりそれらは動物なのだ。人に使われなくなり、人を使わなくなると静物になる。枯れて、死んで、ひびが入る。形はあるけれど破片になるのである。」(『戦場の博物誌』)
ベルリン伝統の磁器「KPM」がどうしても欲しくなり、思い切ってン十万円のティーセットを買ったことがある。白磁に薄紫のデザインがすてきだったが、狭い自宅で置き場に困り、ほとんど使わないまま20年後に売却した。売値は500円だった。(池)
写真は「戦場の博物誌」初収の単行本『歩く影たち』のカバー。
episode.13
「金子光晴は全体として見わたすと、クラゲのような、ナマコのような、酔っぱらいのような、聖者のような、道化のような、哲学者のような、バラの花をうたっているかと思うとウンコをうたいだす、ごろつきで大学者で、手に負えないカンシャク持ちじいさんで、強気と弱気、優雅と蛮勇、倨傲とひるみ、危機が肉迫すれば前世紀の恐竜のような背骨をもってたった一人で獅子奮迅するけれど、危機が潜在してしまうと豆腐のようにグニャグニャしてわけがわからなくなってしまうという、頭をかいて渾沌それ自体だとでも言うよりほかない人であるけれど、しかし、この『鮫』では、彼は、大旅行から帰ってきたスウィフトであった。」(「父よ、あなたは強かった」/『あぁ。二十五年。』より
1963年、満32歳のときに書いた金子光晴の詩集『鮫』についてのエッセイから。金子とはその後個人的にも親交ができたらしい。(菊)
写真は初代単行本『あぁ。二十五年。』(装丁は寿屋宣伝部仲間の坂根進)。
episode.12
「はじめての町にいくには夜になって到着するのがいい。灯に照らされた部分だけしか見られないのだからそれはちょっと仮面をつけて入っていくような気分で、事物を穴からしか眺めないことになるが、闇が凝縮してくれたものに眼は集中してそそがれる。」(『夏の闇』)
芝居小屋に入っていく感じだろうか。暗い舞台にスポットライトがあたり、役者たちが動き出す。知らない町で芝居が始まり、自分も観客でありながら登場人物の一人になる。(池)
写真は『夏の闇』の初代単行本。開高自身が「これは闇シリーズのPart Ⅱだ」とサインしてくれたもの。
episode.11
「しばしば事態の本質は中心よりも末端に示現するのである。人の言葉を聞くときは、さりげなく、何気ない、別れぎわの一言半句にこそ耳をたてなければならないのである。インタヴューの天才で、“内幕物”の大才であったジョン・ガンサーもおなじことをいっていたと、今、ヘトヘトになって思いだすのである。諸君、よくよく耳をほじって人と別れられよ。ユメ、油断召さるな。」(「俺達に明日はない」/『魚心あれば』収録)(初出・「週刊朝日」→『もっと遠く!』収録)
優れたジャーナリストでもあった開高が取材術の一端を教えてくれている。取材ノートを閉じた後、本当の勝負が始まる。(池)
写真は大型本『もっと遠く!』『もっと広く!』2冊特別セット。
episode.10
「このあたりは赤道直下そのものではないけれどほとんど直下といってよい地帯で、六時に夜が明けて、六時に陽が沈む。夜明けの雲は沈痛な壮烈をみたして輝き、夕焼けの雲は燦爛(さんらん)たる壮烈さで炎上する。そそりたつ積乱雲が陽の激情に浸されると宮殿が燃えあがるのを見るようである。」(「第一章 神の小さな土地」/『オーパ!』より)
アマゾンにわたる前、開高さんは冗談めかして「そもそも物書きは“筆舌に尽くしがたい”とか“言語に絶する”とか言ってはいけない」と繰りかえしていた。なので、釣魚紀行『オーパ!』の第一章の原稿をうけとったとき、冒頭のほうでこの一節を読んで鳥肌が立つおもいだった。カメラマンにはその「壮烈な夕焼け」を写真に切り取る覚悟、作家にはこんな「壮烈な」文章を原稿用紙に記す覚悟。宮殿が燃えあがるような夕景──息を呑む、しかなかった。(菊)
episode.9
「画塾には二十人ほどの子供がやってくるが、そのひとりひとりがぼくにむかって自分専用の言葉、像、まなざし、表情を送ってよこす。その暗号を解して、たくみに使いわけなければぼくは旅行できないのだ。他人のものはぜったい通用を許してもらえないのだ。」(「裸の王様」/『パニック・裸の王様』収録)
できあいのマニュアルに頼るだけでは人との関係は結べない。忖度(そんたく)しない子供なら、なおさらだ。驚くほど幅広い人たちとつながっていた開高は、きっとすご腕の諜報部員みたいな暗号解読の名手だったのだろう。(池)
episode.8
「三島さんはそれ以前から、死ぬ死ぬと言いつづけていたけれども、私はそれを真に受けとめていなかった。あの人は、そういう意味では手のつけられないくらい律儀(りちぎ)で、かたくなで、やぼな人だった。
すべての作家は、どんな洒落たものを書いていても、本質的にやぼな人間である。やぼな人間が文学をやるんだと、私はそれまで思っていたけれども、ここまでやぼな人がいるとは思わなかった。私の敗北である。私は、人間を見抜いていなかった。私はマン・ウォッチャーとは言えない。これでは小説家になれない。そう反省させられたものだった。」(「作家の死」/『風に訊け』収録)
1970年の三島由紀夫自決の衝撃について質問されたときの答え(の一部)。男性週刊誌の人生相談『風に訊け』は語り下ろしの連載で、若い読者を意識し、エロい話、深い話、粋な助言にくわえ、自身の本音も語られる、長い「開高健」インタビューのようなもの。初版の宣伝オビには「風が人生を語った。まるで284篇の詩のように」とある。同感。(菊)
episode.7
「ワニをつかまえるには?」
「ナイル河へいくことです。そのときかならず共産党小史を持っていくことを忘れてはいけません。国民の義務ですからね。そこでナイルの岸辺に寝ころんで小史を読みにかかる。たちまちあなたは眠くなる。そこへ河からワニがあがってくる。ワニはあなたを食べるまえに小史に気がつき、読みにかかる。するとたちまち眠くなってその場に寝こんでしまいますから、あなたはむっくり起きあがってワニを縛っちまえばいいんです。それからゆっくり小史を読みなおしたら、今度はほんとにグッスリ安眠できます」(「夜の大統領」より/『食卓は笑う』収録)
「ソ連・東欧には一度しか行ったことはないが」とことわって、1982年にでたジョーク集にひろってあるジョーク。ソ連はもうないが、これにニヤリとしてしまう条件はいまでも、そこここにあるとおもう。自覚も含めて。(菊)
episode.6
「小説家になってしばらくすると私の家にも外国人の日本文学研究者がよく遊びにくるようになった。酒を飲みつつ彼らのたどたどしかったり流暢だったりする話を聞くうちに、しばしば井伏ファンがいることを発見した。彼らは眼を細くして井伏作品を全肯定する。」(「天才が……」/『魚心あれば』収録)(初出・「井伏鱒二自選全集 第4巻月報」→『オールウェイズ下』)
開高は井伏鱒二を敬愛していた。釣りを通じた交流は有名だが、それ以上に、文章に厳しい開高すら魅了する力が井伏作品にはある、ということだろう。ともに海外でも評価されていたと思うと、ちょっと誇らしくなる。(池)
episode.5
「外国を歩きまわったり、外国人と話をしたりする愉しみの一つは、諺(ことわざ)や小話や民話を聞かされることである。会話のなかで固有なるものと衝突できる快感があり、手ごたえがある。慣用句や諺や小話は作者不詳のものが大部分であるが、その国の住人が歳月をかけて練りに練り、削りに削った英知が含まれているから、チョイ書きの文明批評などが足元にも及べないリアリティーがある。」(「小さな話で世界は連帯する」/『開口閉口』収録)
「固有なるものと衝突できる快感」。開高健の文章にもそんなところがある。こういう、「取材」とも「蒐集」とも違う、人間への開高流の関心の持ち方が、かれの文章のあの「古びなさ」をささえているような気がする。(菊)
episode.4
「ずっと後になって東京で知りあったイギリス人から――この人はケンブリッジ出身だったが――あれは新聞紙に秘密があってエロ新聞に包んでもらうといつまでもホカホカと温かいけれど、『タイムズ』なんかだとたちまちさめてしまうというんです、というジョークを聞かされたことがある。シンプソンのローストビーフも食べたはずなのに肉も皿も思いだすことができず、こんなフィッシュンチップスの一包みが生きのこって、いつまでも忘れられない。」(「掌のなかの海」/『珠玉』)
初めてロンドンに行ったとき、まず探したのはフィッシュ・アンド・チップスを出す店だった。ぶつ切りにしたタラとジャガイモのフライはほとんど味がない。赤い酢をジャバジャバかけて生ぬるいエールで流し込んだ。いつも冷静な英国人諜報員になった気がした。(池)
episode.3
「そのコニャックはどんな味がしたかと検事がたずねると、いつもは命令でした、命令でやるしかなかったのです、私がやらなければ誰かがやったことですなどといってぬらりくらりと切り抜けていたアイヒマンが、うっかり、大仕事を終わったあとだったのでうまかったですと洩らした。すると検事が禿頭を見る見る赤く染めて、言葉鋭く、数百万人の人間を絶滅する相談をしておいてコニャックがうまかったとは君も人間だ、人間だという証拠だ、君は歯車ではなかったのだ、とつっこむのだった。」(「『叫びと囁き』革命と戦争」/『頁の背後(全)』)
ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは、大勢のユダヤ人をアウシュビッツ強制収容所に送り込む作戦を指揮した。罪悪感はなかったのだろう。そうでなければ、どんな高級コニャックも苦かったに違いない。(池)
episode.2
「北海道へはじめていったとき眼を瞠ったものが二つあった。一つは札幌の大通り、もう一つは黄昏の大きさである。」(「大きな黄昏」/『白昼の白想』収録)
70年以上も前、北海道と開高健はこんなふうに出会った。開高さんはこのおどろきから歩きだし、北海道開拓民たちの物語『ロビンソンの末裔』を書き、根釧原野のイトウ釣り、『フィッシュ・オン』の世界にもつながった。でも、「黄昏の大きさ」。こんなふうに開高さんはおもしろがるんだなあ。(菊)
episode.1
「嘘でなければいえない真実というものが、いつもいつも、自身のなかで膿んだり、血をにじませたりしている“秘密”ばかりであるとはかぎらない。道でふとすれちがった女の眼や水のなかに閃めく魚の影にも、ときどき、そういうものがある。」(『完本 白いページ』のオビ文/「すわる」より)
これは1978年に出た開高健のエッセイ集の宣伝オビにひろわれている開高のことば。この担当編集者は開高さんのひと回り年下だったが、京大の医学生だったころから開高健に私淑し、編集者になって『新しい天体』『書斎のポ・ト・フ』『完本 白いページ』『コレクシオン 開高健』などのちに「背戸本」と呼ばれる一連の開高作品を企画編集した。そのかれが2段組み478Pの大部エッセイ集のために選び抜いた、「これぞ!」というフレーズ。
そのマネをして開高作品から、読み手を立ち止まらせるフレーズの紹介コラムをはじめます。(菊)