過去の企画展

開高健は、小説、ルポタージュ、紀行、エッセイ、そして広告コピーなど多彩な分野で活躍し、常に新鮮な感動を与え続けました。

開高健記念館で開催される企画展では、文筆家として、ときに趣味人として、変貌し続ける彼の作品や人となりを、関連する書籍や遺された品々によって、毎回テーマを決めながら構成しています。この企画展示は一定期間ごとに更新されます。

2019年10月〜 共同企画展「漂えども沈まず・開高健の生きかた」

作家・開高健は1974(昭和49)年12月に、東京から茅ヶ崎に居を移し、多くの作品を茅ヶ崎で執筆しました。2019年度は、2019年が没後30年、2020年が生誕90年という、開高健メモリアルイヤー。

そこで、開高健記念館では「文豪・開高健」の姿を絶筆『珠玉』をテーマに映し出し、ゆかりの人物館では妻や娘との関わりから見える「人間」「家庭人」としての「開高さん」を伝えました。(茅ヶ崎ゆかりの人物館・開高健記念館 公式Facebookより)

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コンテンツを見る

企画展「漂えども沈まず・開高健の生き方」 現地撮影ムービー

2019年「ボジョレー・ヌーヴォーの会」上映

2019年4月〜 「日本人の遊び場 - 開高健ノンフィクションへの越境」展

茅ヶ崎市開高健記念館では、企画展『日本人の遊び場-開高健ノンフィクションへの越境』が、本日2019年4月20日(土)、スタートしました。

ボーリング場、ナイター映画、釣り堀…。日本人の「遊び場」を、作家・開高健 が足と眼で徹底的に観察・解析した異色のルポルタージュを再現。代表作『輝ける闇』『夏の闇』に昇華していく過程をご覧いただけます。(茅ヶ崎ゆかりの人物館・開高健記念館 公式Facebookより)

2018年10月〜 「風に訊け」展

-人生のマエストロ・開高健のライフスタイル・アドバイス-


戦争・宇宙・美学・哲学・脱出・酒・無人島・クローン-。週刊プレーボーイ誌に寄せられた珍問・奇問に対して縦横無尽に答えを浴びせかける開高先生の魂は、まさに現代を生き生きと謳いあげる一大叙事詩であります。

マエストロは「一気に読まないで下さい。ききすぎるクスリとおなじです」と冒頭に記しています。全565の名回答から厳選した珠玉の“劇薬”を紹介した企画展。

(茅ヶ崎ゆかりの人物館・開高健記念館 公式Facebookより)

2018年4月〜 「『耳の物語』を読む」展

音の記憶をたよりに自らの半生を描いた長編小説『耳の物語』。


小説の冒頭「耳から過去をとりだしてみようと思いたった」と書いている。今回は、この作品の自筆原稿、関連資料を紹介しながら、自身の半生をいかに再構築したかを探っていきます。

2017年10月〜 「紙食い虫・開高健」展

生涯の友・谷沢永一は「えんぴつ」同人時代、開高が読書に熱中する姿を「紙喰い虫」と名づけています。

「人間の感受性、人間の気分、それを写しとろうとする方向、それに接しえてはじめて、彼の共鳴板がひびきを立てるようであった」(谷沢永一『回想開高健』)

小説家・開高健としての水源は、こうして蓄えられたのです。何を読み、どう感じ、どのように評してきたか―。開高健の生涯を通じての豊穣なる読書歴をたどります。

2017年4月〜 「開高健・城山三郎二人」展

~茅ヶ崎を愛した二人の足跡を辿って~

今回、茅ヶ崎市開高健記念館と茅ヶ崎ゆかりの人物館は、ひとつの企画を両館で構成する形をとりました。開高健記念館では開高健を、ゆかりの人物館では城山三郎を紹介します。

 

芥川賞作家の開高健、直木賞作家の城山三郎。文学界を代表する二人の作家は、ともに茅ヶ崎に移住し、その生涯を終えるまで、この地を制作と生活の拠点としました。本企画展は、茅ヶ崎が誇る同時代を生きた二大作家について、改めてその偉大な作品世界を紹介します。また、作家としての側面だけでなく、一人の人間としての実像にも触れていきます。

 

二人が愛した湘南のゆったりとした空気の中で、海に臨むラチエン通りの小高い丘に立地する二館と植栽豊かな庭をお楽しみください。

2016年10月〜 「開高健、茅ヶ崎に棲む―マエストロの仕事場」展

1974年12月、茅ヶ崎市東海岸南に仕事場は完成しました。

烏帽子岩の向こうに初日の出を拝み、書斎から松林を眺め、週に2回は水泳教室に通い、帰りはラチエン通りのなじみの店に立ち寄りました。

茅ヶ崎の自然や人々に深く接しながら、開高健は数多くの作品を生み出してきました。書斎におかれていた原稿用紙、愛用の万年筆やパイプ、釣り道具の数々、愛読書、1週間の予定を記した自筆のメモなど、貴重な品々を展示しながら、開高健がいかに茅ヶ崎を愛し、どのような日々を過ごしてきたか、その一端を紹介します。

2016年4月〜 「わが愛する妻よ!―開高健からの手紙」展

開高健は手紙の名手です。

お礼、お詫び、頼み事……時には単刀直入に、そして時にはどこまでも遠まわしに最も効果的、かつ劇的なアプローチで要件を伝えようとしています。溢れるほどの語彙、変幻自在な語り口、言葉の狩人が紡ぎだすその手紙の数々は、一つの文学作品と称してよいものでしょう。

今回は、開高健記念会が保管する手紙の中の一部をお披露目いたします。便箋の上の「開高マジック」をどうぞご堪能ください。

2015年12月〜 「開高健と柳原良平」展

2015年8月に亡くなられたイラストレーターの柳原良平さんは開高健の文字どおりの盟友。

今回の開高健記念館の企画展示はこのふたりの歩んだ道を制作された広告に焦点をあててふり返ります。(ポスターのイラストは「開高健生誕80周年記念事業」のため柳原さんが特別に描きおろしたもの)。

2015年1月〜 「開高健ノンフィクションの輝き『ベトナム戦記』」展

開高健がベトナム戦争を取材したルポルタージュ「ベトナム戦記」を取り上げた企画展を開催しております。当時現地で撮影された写真のほか、取材から50年たった現在の風景写真など約80点を展示し、後の作品にも大きな影響を与えたベトナム取材の足跡をたどることができます。

2014年4月〜 「開高健ノンフィクションの原点 『ずばり東京』」展

今年は東京オリンピック開催からちょうど50年。

それは「開高ノンフィクションの原点」ともいえるルポルタージュの傑作『ずばり東京』取材から50年の節目でもあります。

2013年7月〜 「開高健の『食卓』」展

開高健記念館の企画展示、7月5日(金)から新装開展です。

2012年12月〜 「開高健と作家たち」展

開高健記念館の企画展示「開高健と作家たち」展が始まりました。

文壇からは距離を置いていたと思われる開高健ですが、作家どうしのつながりを残された手掛かりから探ります。

今回は安部公房、井伏鱒二、大江健三郎、小田実、金時鐘、司馬遼太郎、島尾敏雄の各氏です。

2012年7月〜 「開高健 オーパ!」展

「オーパ!」は、昭和52年の8月から10月にかけて行われた、65日間という現地取材をもとに書かれたルポルタージュ作品(写真・高橋昇)。アマゾン河という取材対象の新鮮さ、スケールの大きさと、その大自然を悠々と描き出していく小説家の卓越した筆力によって、釣りファンのみならず幅広い読者を獲得し、紀行文学の最高傑作の一つとなった。

2011年12月〜 「作家志望青年・開高健の情熱の日々」展

父親の死去により12歳にして家督を継ぎ、窮乏生活、そして家族のためにアルバイトに日々を費やしていた開高青年の夢は小説家(作家)になることでした……。

大学入学後は同人誌に習作を発表、先輩の文学者に積極的に働きかけ、文壇への足がかりを求めます。新たに発見された未発表小説や直筆の原稿、手紙などの豊富な資料を紹介しながら、小説家・開高健誕生の軌跡をたどります。

2010年10月〜 「開高健 いくつもの肖像」展

直筆が語る鮮烈な「一言半句」

開高健記念会では2002年の設立以来、開高健に関わる資料の収集・整理、調査を中心的な活動として行なってまいりました。芥川賞受賞作『裸の王様』、代表作の『夏の闇』などの直筆原稿、さらには開高の手による書簡など貴重な資料の数々が少しずつではありますが集まっています。昨年には『夏の闇』の直筆原稿の複製本を刊行することができました。

今回は、開高健生誕80周年を記念して茅ヶ崎市で開かれる「開高健 いくつもの肖像」展の共催企画として、これまでの成果をもとに、開高の直筆による原稿、制作のためのメモ、編集者、あるいは家族や近親者に宛てた書簡の数々を展示して「言葉の狩人・開高健」展を開催します。

初期の作品から『珠玉』まで、作家として成熟の道を歩むそれぞれの時期の直筆原稿を展示しています。

担当編集者をはじめ一部関係者しか決して目にすることのできない直筆原稿には作家の生命エネルギーが宿っています。執筆に苦しむ作家の息づかいがきこえてくるようです。作家から受け取り、原稿を確かめるために一枚一枚めくるごとに編集者は芳醇なワインのトップノートを感じているのです。さらに、今回は家族、編集者、友人にあてた手紙の数々を披露します。名手ならではの言い回し、ご堪能ください。

2010年4月〜 「開高健とパリ」展

戦後のドサクサで生活苦にあえいでいた開高青年は、ひたすら海外逃亡の執念を胸に抱く。フランス語の習得に励み、その成果を試すために名画劇場の2本立てに通いつめた。友人から借りたシャンソンのレコード盤は、擦り切れて線がなくなった。「えんぴつ」同人の仲間は、その早熟と才能に怖れを抱きランボオと呼ぶ。1960年冬、念願がかないあこがれのカルチェ・ラタンで下宿生活を経験した。

後年、パリは、酒と食との探究に、そして骨董屋の店先を覗き込む楽しさが忘れられず、旅の帰途には必ず立ち寄る場所となった。

2009年10月〜 「河は呼んでいる 開高健とアラスカ」展

書斎の万年床が敷かれていた部屋の壁には、ベトナムとアラスカ半島の大きな地図が2枚貼られている。いずれも開高健の人生にとってかけがえのない地である。

書斎にこもり原稿用紙に向かい、構想にふけり、疲れたときなどに地図を眺め、想いを新たにしていたのだろうか。アラスカ半島の地図には、川や湖を赤のマジックペンで丸を囲み矢印や感嘆符までが書き込まれている。原稿を書き終えたら竿を持って旅に出よう。大自然の中に身をおいてキングサーモンと対峙しよう。河は呼んでいる。そんな心の叫びが聞こえてくるようである。

2008年12月〜 「開高健 自筆原稿」展

丸みを帯びた楷書体の文字の一文字一文字が、原稿用紙のマス目を埋めている。どっしりとしていて迷いがみられない。直しもほとんどみられない。不必要な句読点や改行もない。

作家・開高健の原稿は美しい。恐らく、推敲に推敲を重ね、熟考ののちに文字にするからなのであろうか。文字にされた言葉のひとつひとつに作家の息遣いが生々しく感じられ、原稿からは書籍とは別の世界を垣間見ることができる。

1989年12月9日逝去、享年58歳。没後20年を迎えて、遺された原稿から折々の開高健を偲ぶ。

2008年4月〜 「開高健 『一言半句の戦場』」展

小説家、作家・開高健は、自分にも他人にも厳しい、文章の鬼だった。芥川賞、大宅賞といった文学賞の選考にあたっても、作品に「きらきらしたもの、鮮烈さ」を求めた。それがたとえ「一言半句」でも、俺は評価する、と――。

詩の翻訳や宣伝コピーといった、制限の多い場所から文業を始めた作家自身にとっても、文章を書くという行為そのものが、その「一言半句」を求め、原稿用紙に定着するために苦闘する「戦場」だったのではないだろうか。

1989年12月9日に亡くなった作家の、単行本・全集未収録のエッセイ、対談、聞き書き、コラム、コピーなどを広く集めた20年目の新刊単行本『一言半句の戦場』を、今回の企画展示のテーマとした。そこには、この作家の独特のユーモアも、切れ味のある洞察も、類まれな人間味もあふれている。

2007年10月〜 「開高健 『ずばり東京』」展

オリンピック開催にむけて北京の変貌ぶりが報じられている。44年前、「当時のトーキョーは一時代からつぎの時代への過渡期であったし、好奇心のかたまりであってつねにジッとしていられない日本人の特質が手伝って、あらゆる分野がてんやわんやの狂騒であった。」

芥川賞を受賞し新進作家だった開高健はオリンピックという国家行事を契機に、泡立つように変貌を遂げつつあったマンモス都市・東京の素顔をあらゆる角度から活写して、ルポ文学の記念碑的作品として高い評価を得た。

週刊朝日の連載を終えた3週間後にはベトナムに飛び立ち『ベトナム戦記』をレポート。一方で『フィッシング・オン』『オーパ!』シリーズと、釣りという行為を通しての文明批評ルポを開拓していった。

2007年4月〜 「開高健、モンゴルを駆けた夢」展

チンギス・ハーンを建国者とする蒙古帝国は、ある時期、世界地図の5分の3というとてつもなく巨大な領土を所有した。ところが彼らは、一切の形あるものを地上に残さなかったのである。

開高健は、モンゴルの大地で「偉大な虚無の民」ともいうべき存在に感銘を受けたに違いない。そして、チンギス・ハーンの陵墓探索という夢を追い求め、心を燃やした。残念ながら、開高健は志半ばで逝ってしまった。が、彼の情熱は「ゴルバン・ゴル」計画として、ロマンの羽をモンゴルの平原にはばたかせ始めている。

今回の企画展では、開高健の夢を追って、モンゴルに焦点をあてた。

2006年10月〜 「開高健の大阪」展

開高健の作品の底流には、大阪人開高健が脈々と流れている。そして、その気宇壮大な企画と行動力も無関係ではないだろう。また、グルメ、グルマンと称されるが、戦後の飢餓感ぬきにしては語れない。

今回の企画展は、多感な少年期を過ごした旧制天王寺中学校のころ、同人誌「えんぴつ」での人生を決定づけた人たちとの出会いなど、人間開高健を形づくった「開高健の大阪」を、さまざまな資料からアプローチしてみた。

2006年4月〜 「開高健の釣魚大全」展

『輝ける闇』という作品を書きおろしで執筆しているとき、何ヶ月となく部屋に閉じこもったきりだったので、足から力がぬけてクラゲみたいになってしまった。そこへ雑誌「旅」から声がかかって、釣りの旅を毎月やりませんかという提案だった。……私としては運動のつもりでほんの気軽にはじめたのだが、以後、釣りが病みつきとなり、六九年にはアラスカをふりだしに地球をほぼ半周する旅行をやってのける発熱ぶりとなってしまった。

―『完本・私の釣魚大全』への後記―

開高健の釣りへの情熱はとどまることなく、アマゾン川流域、南北アメリカ縦断、モンゴルへの旅と飛躍していった。今回の企画展では、釣りの世界にのめりこんでいった感動と驚きを初期の作品から、また地球環境の破壊を嘆き、指摘する、釣人開高健を紹介する。

2005年9月〜 「開高健の美味礼賛」展

稀代のグルメでありグルマンの作家開高健。

「この男は食いしん坊のためにわざわざフランス語と中国語を学んだというほどの狼疾ぶりである」。「ほんとの土地の味はやっぱり体を現地まで運ばなければ口に入らない」。「美食とは異物との衝突から発生する愕きを楽しむことである」。「美味に出会って『筆舌に尽くしがたい』『いうにいわれぬ』『言語に絶する』は小説家の名折れ、敗北である、なにがなんでも表現しなければならない」。

旺盛な好奇心と行動力で美味、珍味を追い求め、表現し続けた作家の様々な姿を、その文章とゆかりの品々でお伝えします。

2005年4月〜 「開高健とベトナム」展

朝日新聞特派員としてベトナムへ赴いた開高健。1965年2月14日、取材従軍中の南ベトナム軍部隊はベトコンの一斉攻撃を受け壊滅敗走する。200名中生存者17名という、死の現実を目の当たりにし、この体験がその後の作家活動におけるひとつの大きな基点となった。

ベトナム人同士が殺し合う過酷な国からの報道と、死を覚悟した体験、そして それを文学へと昇華させて行った軌跡を追う。

2004年10月〜 「開高健と牧羊子・開高道子」展

夫人・詩人の牧羊子と、両親から溢れんばかりの才能を受け継ぎ、同じ創作の道を志した開高道子。今回の企画展では、ふたりの活動の軌跡を紹介し、また、遺されたアルバムや旅先からの手紙などを通じて作家開高健のもう一つの側面を紹介します。

2004年4月〜 「開高健 生物としての静物」展

亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子…。様々な生と死、時空の中を旅する作家の身辺を彩る、小物たちの美学。

2003年10月〜 「開高健 オーパ!」展

「オーパ!」は、昭和52年の8月から10月にかけて行われた、65日間という現地取材をもとに書かれたルポルタージュ作品(写真・高橋昇)。アマゾン河という取材対象の新鮮さ、スケールの大きさと、その大自然を悠々と描き出していく小説家の卓越した筆力によって、釣りファンのみならず幅広い読者を獲得し、紀行文学の最高傑作の一つとなった。

2003年4月〜 「開高健 「闇」を凝視した男〜」展

ベトナムを舞台とした『輝ける闇』、本人をして第二の処女作と言わしめた『夏の闇』、そして十数年書き続けられた未完の小説『花終る闇』。この三作品を総称し「漂えど沈まず」と冠される予定でした。

今回の企画展示は「闇」を凝視した男と題し、ベトナム戦争のルポルタージュに始まり「闇三部作」に至る、開高健にとっての「闇」の本質を探ります。