来館者メッセージ
開高健記念館を訪れた方々が書き綴ってくださったノートから、その月々の言葉を振り返ります。(お名前はイニシャルで表記させて頂いております)
来館者のノートから(2021年2月〜2022年10月)
20年以上前、“悠々として急げ”(TBS)を観て以来、趣味の釣りに哲学的要素が加わり、ずっと読み続けて来た大先生の書斎を拝謁出来、感無量です。ここで坐って字を書いているのは夢の様。茅ケ崎の街、邸宅とともに忘れられぬ1日となりました。(T)
やっと中へ入ることが出来ました。茅ケ崎に来て1年半、少しずつ先生のことを聞く機会を得て、今日に至ります。この地でたくさんの作品を書かれたこと、うれしく思います。また自宅にてゆっくり読みたいと思います。(S・Y)
ドイツに住んでいた時、Dusseldolfの本屋で『夏の闇』に出会い、何度も読んだ。何度も何度もくり返し読んだ。(M・T)
学生時代から大ファンでした。たくさん持っていた本たちは東日本大震災で陸前高田市の実家とともに流されてしまいましたが、読んで得た養分は私の中に息づいていてくれます。(O・S)
1961年12月、ソ連からの帰途、パリで大江健三郎といっしょにサルトルと面会したことを知った。そのサルトルに会った第一印象の文章が面白く、その後1966年9月にサルトルが来日した際にもベトナム戦争反対集会でサルトルに物申していることを知った。開高の文章は読めば読むほど面白く、後を引く。(横浜在住 T)
圧倒されました。最近、開高健氏の作品を読みはじめた者です。父が若いころ好きだった作家であること、また、ベーシストのハマ・オカモト氏が敬愛する作家だと雑誌で語っていたこともあり、読みたくなりました。27歳で「パニック」でデビューし、28歳で「裸の王様」で芥川賞。じぶんとほぼ同い年なのにすごいと思いました。こんな生き方に憧れますが、なかなか難しいです。(日野市 O・M)
ありがとうございました。赤いじゅうたんの書斎にドキドキしました。見てはいけないものをのぞいた感じです。写真のまなざし、ていねいに書かれたメモや原稿が、想像以上にやわらかく繊細でした。(F・T)
主人が昨日突然「開高健記念館へ行こうかな」と言うので、私自身はお名前は存じていましたが、一緒に来ただけです。偉大な方だったことを知り、興味が出ました。これから本や映像を観て勉強したいと思います。
小生57歳。お亡くなりになった齢にまた近づきました。18歳で初めて茅ケ崎にきたとき、ぐうぜん駅でお見かけし、若輩の私に右手をあげて笑ってくれたことを忘れません。「わかっているよ」といってくれたようなその目をまだ覚えています。(K・T)
やっと「開高健記念館」に来れた。今年も「銀山湖」に行ってきます。(釣師 S)
やっと来ることができました。開高さん、あなたは私の人生を少なからず決定づけた方です。初めに読んだのは、大学生の時だったでしょうか。「オーパ!」の一言一句に興奮したものです。田舎から出てきた私は、いつの日か広大な南米に行ってみたいと夢想しました。その若者は新聞記者となり、のちにサンパウロ特派員となります。アマゾン川の上流でピラニア釣りをし、開高さんにほんのちょっとだけ近づけた気がしました。(K・T)
来館者のノートから(2020年2月〜2021年1月)
学生時代 海外に行くバックパックの中には、いつも 輝ける闇 を入れていました。今ではもうボロボロになってしまいましたが、大切にしています。開高さんの言葉は これからも宝物です。(2020.2.2)
小学校の息子の宿題で茅ヶ崎駅の事を調べる為に「茅ケ崎市史ガイドブック」を購入しに来たのですが、初めて見学してみてよかったです。ここにあることは知っていましたが一度も来たことがなく、とても勉強になりました。茅ケ崎のことをもっと知ろうと思いました。(2020.2.11)
開高さんへ また来ました。地球はコロナという疫病に感染中です。遠い道をゆっくりと されど休まずに 人類は生きないといけないのでしょうか。明日世界が滅びるとしても今日自分はリンゴの木を植えます。
前回からおよそ2年振りに来館しました。2年前は「風に訊け」がテーマで、当時のプレイボーイ誌が見られたりと面白い企画でしたが、今回も「日本人の遊び場」の連載誌が見られたり、「耳の物語」の生原稿が見られたり、特に私は「耳の物語」が一番好きなので、とても感激しました。コロナの渦中ですが、色々と企画を考えて開館して頂けるスタッフに、改めて感謝申し上げます。(2020.10.24)
小学生の頃、新宿であったサイン会で開高さんにお会いしたことをきっかけに すっかり釣りに目覚め、イトウという魚にあこがれ北海道の大学へと進学し、釣りと魚類の研究にあけくれました。40歳を過ぎた今も釣りバカのまま年を重ねています。その原点となった開高さんの記念館を訪れる事を楽しみにしていました。また、お邪魔させて頂きます。(2020.11.14 K)
高校生のときに酔狂な友人から『青い月曜日』と『フィッシュ・オン』を半ば強引にすすめられ、釣りもさせられて開高さんとのおつきあいが始まりました。当時、モノカキ(現役)で尊敬できるのは、開高さんと藤原新也さんだと思っていました。藤原さんとは今、いろいろ関わりがありますが、開高さんは池袋のArt vivantでお目にかかっただけでした。藤原さんはけっこう開高さんの悪口を云いますが、実はファンのひとりだと思ってます。開高さんの齢を3つほど越し、今でもまだ作家を目指していますが、なんとかあきらめずにつづける積りです。(2020.12.18 T・S)
実を言うと開高氏の本はあまり読んだことがないのだが、この場所が好きで年に3回位は訪れている。開高氏にはぜひ、ルアーだけでなくフライもやってほしかった。
ドイツに住んでいた時、Dusseldolfの本屋で「夏の闇」に出会い、何度も読んだ。何度も何度も くりかえし読んだ。(2021.3.14 M・T)
サルトルの著作を読んでいる内に開高健が1961年12月にソ連からの帰途パリで大江健三郎と一緒にサルトルと面会した事を知った。そのサルトルに会った第一印象の文章が面白く、その後1966年9月にサルトルが来日した際にもベトナム戦争反対集会で又サルトルに物申している事を知った。開高の文章は読めば読むほど面白く、後を引く文章だ。(2021.3.26 横浜在住 T)
来館者のノートから(2019年2月〜2020年1月)
中学1年生の時、トリスをスクールバッグに忍ばせて、放課後の退屈な時間を悪ダチの部屋で回し飲みをしていた女学生だった。あの名言、「人間らしくやりたいナ」の開高健だった人物が、オーパ!で釣りをして「タハッおもしろい」の人物で、ベトナムで200分の17の呆然とする筆者と同一人物であることに驚きつつ、全てはつながっていると思った。また、来ます。書斎に立ち入りができるといいなーと思いました。(2019.2.3 T)
私に開高健を教えてくださった方が、憧れて真似をしていました。この記念館にも本当に来たかったのですが、急死をしてかなわず、私がその方の分まで一緒にました。やっと、その方の思いにたどり着きました。(2019.2.11 X)
社会の課題で来たけど、分かりやすく説明してくれたので、いつかまた来たいです。作品もたくさん見られてよかったです。大きくなったら開高さんの本を読みたいなと思いました。(2019.2.23 東小4年)
初めて来ました。帰ったらすぐ本を読みたいと思います。興味津々。文章のうまさ、内容、人間性に感激しました。ありがとうございました。(2019.2.17 S・A)
好きな作家のところへ来られて幸せです。あたたかい陽ざしの中で作家を偲んでいます。(2019.2.17 A)
以前から来たかった記念館に来ることができました。大阪に帰ったら昔に買った本を読み直そうと思います。(2019.3.3 X)
大好きな人が、大好きだった人でした。やっぱり大好きな人です。何冊も読みました。どっぷりはまりました。また来ます!(2019.3.22 X)
47歳になり、はじめて訪ねてきました。私の生きるバイブル、旅の師匠です。来て、良かった!(2019.3.29 Y)
私にとっての聖地巡礼! ついに自筆の原稿が見られました。ゾクゾクしました。ありがとうございました。(2019.4.26 大阪府 K・D)
開高健を偲ぶ場所。やっと来られました。(2019.5.1 H・O)
小学生の頃から名前だけは存じあげていたのに、20年経って、ようやくあなたの作品を読んでいます。「玉、砕ける」と「怪物と爪楊枝」、この2作が私のきっかけです。(2019.5.12 奈良県 K・U)
この家の主の享年と同じ58歳を迎えました。学生の頃、ある女性から「開高健って男の文学なのよね」と告げられた時、私自身の男を否定されたかのように一瞬感じました。それ以来、男とは何たるかを探してきました。見つかるまでもう少し時間がかかりそうです。この家がどうやら探求のre-startになりそうです。(2019.5.12 静岡県 N・O)
母が学生時代、開高さんに家庭教師をしていただいたと聞いていました。ようやくこちらに足を運ぶことができました。学生時代の開高健さん、かっこいいですね! 開高さんの意思が引き継がれている素晴らしい記念館です。(2019.5.31 T・I)
茅ヶ崎に嫁いだ娘の孫二人の運動会を見るために、妻と富山から来ましたが、開高健の記念館があることは知りませんでした。素晴らしい記念館で感動しました。これから開高さんの本をたくさん読んでみたいと思っています。(2019.6.2 富山市 T・T)
開高さんはダンディだな。この館は、木立に囲われ、海が見える高台にあり、どの部屋からも、
それぞれの世界に入り込めるような静かな音が降ってきます。雨の日に来館して、遠くを見つめる心が体の奥に動き始めました。(2019.6.15 東京 H・O)
中学生の時、『私の釣魚大全』で釣針にかけられました。まさに「フッィシュ・オン!」 大学生の時、「オーパ!」で完全に釣りあげられました。それから小説、ノンフクションを問わず、開高作品を読み漁る羽目に。年を経て、この記念館の存在を知ってから、すでにながい時間が過ぎました。とうとう来た! やっと来られました! I made it ! (2019.7.12 富山 T)
昨夏急逝した実弟の一周忌に合わせて、車中泊を重ねながら2度目の来館です。1回目は、開館2年目に夜行列車で来ました。開高健先生は、私の最も尊敬する作家です。私の棺には、「日本三文オペラ」を入れてもらうよう子供に託しております。次の来館はいつの日か? (2019.7.26 大阪 S・Y)
今年もこの季節に来館しました。自分の年齢と開高さんの年表を重ね合わせてみると、自分の人生はまだまだ、これからという気がします。また来年、再訪します。(2019.8.12 千葉県 S・S)
初めて来館して、とても感動しました。書斎での一人の時間をとても大切にしていたことが、書斎の雰囲気で感じとることができました。一人の時間と書斎以外の時間の両方を大切にしていたからこそ、すばらしい作品ができたのだと感じとることができました。(2019.8.17 R・S)
男の遊びを究めた先生の本に感銘を受け、今後の自分の道しるべを探すべく訪れました。一度では足らず、何度か訪問してみます。(2019.9.16 K)
ずっと伺いたかった記念館に来られて満足です。お金がなくて『オーパ!』『もっと広く!』などの大型本が買えなかった頃……週刊朝日の連載を楽しみにしていた頃を思い出します。(2019.9.21 T)
初めて歩いたはずなのに、「哲学の小径」が懐かしい。(2019.10.20 京都)
長年、この生のあるうちに一度はと思い続けてきて、今日実現しました。感動!思っていた以上の自宅、書斎。素晴らしかった。(2019.11.9 山口県 K)
昔からユーモアのある開高健が大好きでした。人生の折り返しから一人でバーでお酒を飲むようになり、ますますミスター開高の生き方に感慨を受けています。今日は恋人に会ったような気持です。また会いに来ます。(2019.11.17 M・S)
「表現者」としての感性と自分の生き方をつきつめてきたら、健さんの生き方と交差した気がする。自作分の文章の中にどうしても崇拝する作家の一文が出てしまうのは仕方がないと思うが、それは、私の文業に「健が生き続けている」と思うので記念館に来てみました。(2019.11.24 T・S)
ついに記念館に来ることができました。40年前、20歳の頃からのファンで、感無量です。その頃、『夏の闇』を読んで、作家になる夢をあきらめました。また参ります。(2019.11.24 A・T)
久し振りに訪れましたが、何度来ても開高さんのスケール、人間の本質を捉え、それを表現する力のすごさに圧倒されました。ありがとうございました。また来たいと思います。(2020.1.15 K・I)
ベトナムに住んで のべ8年ちかく。会社で ベトナムに ふにんしなければ 開高さんのことは 知らなかった。マジェスティックホテルも行きました。ようやく来ることができて よかったです。(2020.1.24 ハノイ市 K)
Cher Monsieur Kaiko 企画展テーマが「珠玉」と知り、矢もたてもたまらず初めて訪問しました。近所の本屋さんで岩波文庫の棚にあった『夜と陽炎』。開いたページのその濃密な文章に一気に引きずり込まれました。「このまま終わらないでほしい……」と願うような作品が文学にもあること、映画や音楽以外でも味わえたことが自分でも驚きでした。憧れの作家の跡を辿れる幸せは、このような場所を守って下さっている開高さんを愛する方々のおかげですね!
書斎も実際に見て「ここで書いたんだ」「ここから旅に出ていったんだ」という感慨は、『開高健のパリ』の中で初めてパリを訪れた作家が、かつて読んだ本の中の地名を見つけ「信じられない……」と、夜の街をさまよい歩いた気持にも似たような興奮を胸に、これから帰路につきます。(2020.1.25 N・M)
来館者のノートから(2018年2月〜2019年1月)
小学校6年生のときに、『もっと遠く!』を読んで以来、開高の作品に触れ、書物全般と関わる人生になりました。今は自分も書き手となり、その意味で、開高が私の人生変えたのかもしれません。(2018.2.4 N・S)
花を見て想う。/頭(こうべ)を垂れて祈る。/静かな暮らし。(2018.2.17 S・T)
今日で3回目です。しばらく釣りをしていませんでしたが、ここに来て、また釣りをしたいなと思いました。この前来たときはまだ独身でしたが、結婚したので、また主人と一緒に釣りを始めます。(2018.3.2 A.・F)
開高健のバイタリティ、エネルギーをここへ来て感じました。明日からKenイズムを人生にとり入れて、人生をエンジョイします。感謝!(2018.3.18 TAKAKO)
27日に61歳の誕生日を迎えた。西洋美術館の常設館に行き、学生時代に自分が眺めた絵画や彫刻と対面した。大学生のときに向き合った開高健の作品……。そうか、あなたは58歳で逝ったのだ……。あなたの歳を超えたいま、家に帰ったらまた読んでみよう。(2018.3.30 S・K)
いつもより早く咲いた桜の中を、妻と二人で久しぶりに来館しました。若いころ、小生、椎名誠さんと同じ会社で働いていました。椎名さんはビールが大好きでした。そして開高さんは、ウィスキーをこよなくこよなく……。妻がウィスキーのハイボールを好みます。ストレスの多いアルバイト生活の中で、今日のような「ひととき」は、めったにありません。ありがとうございました。(2018.3.31 S・N)
今日、神奈川新聞に「ラチエン通り」の記事が載り、開高健記念館を思いだして、茅ヶ崎駅から歩いてきました。2年ほど前に、佐治敬三さんと開高健さんとの交流を書いた『最強のふたり』で人物像を詳しく知った次第。この本を書いた作家の北康利さんは知人です。(2018.4.29 横浜市 S)
親しい友人夫婦に連れてきていただきました。宮崎に住んでいますが、上京するたびに、大好きな鎌倉・江の島には必ず行きます。今日も鎌倉から茅ヶ崎へ来て、開高健、国木田独歩を改めて知りました。大変良い心もちになれました。親友夫婦に感謝!(2018.5.12 宮崎市 H・H Y・H)
学校の授業で開高健さんの本を読み、難しかったのですが、とても面白かったです! 他の作品も読んでみようと思います。今日は来られてよかったです。(2018.5.26)
主人が以前から来たいと思っていた開高さんの記念館に、家族3人で来られてよかったです。素敵なお庭をゆっくり眺めて、いい時間を過ごせました。(2018.5.26 南林間より)
一年に一度、開高健に会いたくなって来ます。ありがとう。(2018.6.2 K・K)
初めて伺いました。自分も間もなく50台の大台へと進みますが、中学生の頃、開高先生の本に出会い、年を経るごとに、受けるイメージや心に響く言葉が次々と移ろい、もしや死ぬまで先生の言葉をすべて受け取ることは難しいのでは、とまで思わされます。次に伺った時の自分に引っかかるのはどんな言葉か。楽しみです!(2018.6.10 竜ケ崎 T)
来月ベトナムへ行くので、高校生の頃に読んだ小説を思い出して、買いに来ました。さて、どうなることやら……。(2018.6.17 湘南 F・W)
開高健の『ずばり東京』を読んで、この記念館の所在を知りました。60年代、私の青春と重なります。(横浜 M・N)
学生の頃に初めて読んでから、文庫本を次から次へと読んでいたのが、40年前。その頃の感動が薄れている今、ここに来て、別の意味での感動に代わっていることに気づかされます。奥の深さを改めて教えてもらえた気がします。60歳を過ぎて、開高健の没年を越しましたが、これからも新鮮な考えと感受性を忘れずにいたいと思います。ありがとうございました。(2018.6.23)
1982、3年頃、故郷・仙台のデパートで「オーパ!」展という催事があり、開高さんを拝見しました。公開インタビューとサイン会があり、同行した弟が『オーパ!』の文庫本にサインをいただきました。私も何か持参していたらと、いまも思います。(横浜市 K・S)
来週の土曜日に、八丁堀・早稲田エクステンションセンターで、開高健さんの短篇「掌の中の海」の合評会があり、その事前資料にと、足を運んできました。このような家に暮らしていたんですね。また来ます。今日は、妻と愛犬の内蔵助(6歳)と来ました。(2018.7.14 K・M M・M)
まだ開高健初心者ですが、原稿やゆかりの品々を見て、もっともっと作品を読みたい気
持ちが強まりました。なぜこれほど素晴らしい文章が書けるのか。奇跡のような作家です。来てよかったです。(2018.7.16 東京 Y・I)
数年ぶりにここに来ました。茅ヶ崎はだいぶ変わりましたが、この場所は、以前の場所です。私も30歳。開高さんの小説のすごさが、ようやくわかってきました。(2018.7.22 S・K)
初めて伺いました。開高さんのバイタリティ、そして小説がとても好きです。海のないところの育ちなので、浜風に当るのがとても新鮮でした。茅ヶ崎、いいところですね! またいつか、開高さんの作品をもっと味わってから来たいと思います。(2018.7.29 D)
今年も再訪できました。当時の面影をしのぶことができる展示品がたくさんあるので、一つ一つに思いを馳せていると、あっという間に時が流れます。見るタイミングによって感じることも違うので、毎回新たな発見があります。また来たいと思います。(2018.8.25 H)
今日初めて伺いました。私自身は、開高さんについての知識はないのですが、父がファンだと言っていた記憶があります。文筆を正業とする方々の書斎は、独特のセンスで飾られていて、とても素敵でした。また来たいと思います。ありがとうございました。(2018.8.31 S)
やっと来ることができました。予定していた時間では全く足りず心残りなので、改めてゆっくり参ります。それまでに、また作品を読み返して、自分がどう生きるべきか、見つけられればいいなぁ。次回楽しみです。(2018.9.9 Y)
1年半ぶりです。エッセイが好きでよく読んでいます。開高さん、ありがとう。また来ますね。(18.9.9 東京 T・K)
還暦を迎え、少々自分の時間ができたので、好きな本を好きな時に読み、開高さんの選びぬかれた一言半句を楽しんでいます。『ベトナム戦記』『ロマネ・コンティ・一九三五年』『地球はグラスのふちを回る』『日本三文オペラ』『流亡記』『輝ける闇』『夏の闇』『フッィシュ・オン』『オーパ!』『オーパ、オーパ‼』 そうです。やっぱり全て開高さんの本です。そしてまた、開高健記念館に来ています。明日は、開高健記念文庫で開高さんの魅力に触れる予定です。(2018.9.15 香川県 H・A)
釧路から来館。若い時は東京、その他に住む。他のことに夢中で、開高健を知ることなく過ぎていきました。30歳のとき、釧路で出会い、本を読み始めました。同時代にいて、お会いしていればお話できたかもしれませんね。悠々と急ぎます。(2018.9.24 釧路市 K)
今回は2回目の訪問です。卒論のテーマとして、開高さんについて学んでいます。『ベトナム戦記』『輝ける闇』『夏の闇』などのベトナム物は、やはり研究のうえで中心となってくるものだと思います。また、『日本三文オペラ』『流亡記』などもいいですね。また来たいと思います。(2018.10.14 東京都 I)
1年ぶりに来ました! 私も先生に質問したかったです。『風に訊け』は大好きな本です。(2018.12.1 K・O)
開高健の本、初めて読んだけど、おもしろい! 特に『風に訊け』は!(2018.12.2 H・M)
1989年の輝ける光りであった未来は、2019年に輝ける闇となった!(2019.1.11 J・A)
やっと来られました。開高先生、ありがとうございました。昨日51歳の誕生日を迎え、夫のはからいで、文学を辿る旅をしています。開高先生! 尊敬できる大人に出会えてうれしい。右脳が活性化します。(2019.1.13 H・H)
家が大きすぎる‼ 釣った魚が大きくておいしそう‼(2019.1.14 M・O 4年生)
先程、円覚寺のお墓にも伺いました。この記念館は初めての訪問です。改めて先生の素晴らしさを確認できました。(2019.1.14 Y・O)
来館者のノートから(2017年4月〜2017年12月)
初めて今日、アメリカから母と記念館にやってきました。母は、大の開高ファンなのです。作家・開高さんの住まいのまわりを散策していると、不思議な魅力があります。この場所には、人にインスピレーションを与え、人を感化するなにかがあるのです。開高さんの著作を真に理解するためには、作家のものの考え方を、人は深く心に刻みつける必要があるでしょう。わたしはそう信じています。私はライターではありませんが、どのジャンルであれ、文学というものを、価値あるものととらえています。これから開高健の作品を読むのが楽しみです。特に、ここ茅ヶ崎時代に書かれた著作が。できればまたいつの日か、この静寂な記念館を訪ねてきたいと思います。ありがとうございました!(2017.4.21 A・Y 高校生 原文は英文)
感激の一言です。米国でYouTube等の開高健関連の画像(映像)を見あさり、彼の日本人離れした生き方に共感し、感動しました。高校時代に本を読んだことを思い出します。同じ大阪出身で、しかも今回、大阪・北田辺の妹の所に滞在して、さらにその近さを感じています。願いがかない、記念館を訪ねることができて本当によかったです。哲学の小径に刻まれたひとつひとつの言葉に、彼の生き様を垣間見る思いです。また、もう一人の大好きな作家である司馬遼太郎さんの弔辞にも感動しました。娘もなにかを感じとったようです。また、この地に来られることを祈っています。本当にありがとうございました。(2017.4.21 カリフォルニア州・トパンガ H・Y)
初めての訪問でしたが、種々の場所で、種々のものを手にして生活した様子を見せていただきました。いくつか本も読みましたが、鋭い感性と文学表現の粋を示して、触れた人々の心を動かしてくれることは素晴らしいです。楽しいときをここで過ごさせていただきました。(2017.4.22 大阪・岸和田市 M・I)
なにをしたらいいのか迷うようになり、この問題を解くカギをここで拾った気がします。―「危機と遊び」(2017.4.22 横浜市 K・O)
やっと来ました。ホーチミン(旧サイゴン)で3年半生活し、マジェスティックホテル・103号室にも宿泊してきました。あなたのような破天荒な生き方はできませんが、その精神を愛します。わたしも58歳になりました。確かに、橋の下を水がたくさん流れましたね。生きることはすばらしいです。また来ると思います。カムオン! ありがとう。(2017.4.23 A・I)
開高さん、初めて来ました!(2017.4.29)
「人間」らしく/やりたいナ/……/「人間」なんだからナ/我思故我在(2017.4.30 東京・杉並 H・A)
初めて来ました。昨日、『夏の闇』を読み終えました。また来たいです。ありがとう。(2017.5.3 東京・大田区 K)
東京に来てから、いつかいつかと。気づけば五年目。やっと来られました、というときれいですが、休みが取れなかったとか、恋い焦がれていたわけでもなく、帰省しないでおこうと決めたとき、ふとこの場所に来ることを思いつきました。『裸の王様・パニック』を買っていたことすら忘れている有様です。そんな分際ながら、あえてマニアと呼ばせていただきたくなるのは、開高さんの風貌、声、生まれ、育ち、文体、主題のいちいちに、自分を見出そうとする信仰めいた姿勢があるからにほかなりません。ここに来る車中、『流亡記』を読み、しばらく秘跡に触れたような忘我に至りました。ずっと茅ヶ崎については、開高健記念館があるという認識のみだったところ、ここまでの道を雄三通りから海岸沿いに歩いてきて、住みよい海辺の町であることを感じました。ケチな学生にもやさしい入館料、まことにありがとうございます。また来る日を楽しみに。(2017.5.6 K・O)
初めて訪れた開高健記念館。茅ヶ崎の緑薫るこの地で、開高は筆を進めていたのかと思うと感慨もひとしお……。また読み直してみよう。ありがとうございました。(2017.5.6 T・T)
とても素敵な場所でした。(2017.5.7)
とうとう来ることができました。ロビーの開高さんの肉声が心地よい。また来ます。(2017.6.2 H・K)
先生、一年ぶりの訪問です。あっという間の一年でした。釣りに行く時は、いつもフィッシュ・オンです。しかしながらタコを釣りに行ったときは、フッィッ・オンを忘れました。いつか先生のようなこころ豊かな釣り人になりたいものです。(2017.6.4 東京・中野区 O)
やっと来ることができました。もっと早く来るべきでした。また来ます。これから酒を飲みに行きます。(2017.6.9 S・Y)
来られてすごくうれしいです。わたしの父がとてもあなたを愛しています。本当は父にも来させたかったのですが、歩けないのでわたしが父に伝えます。開高さん、ありがとうございます。すばらしい言葉など、感動しています。あなたの生き様をもう少し早く知っていたかったな。これから、あなたのすべての小説を読んでみることを約束します!ありがとうございます。いつまでも開高さんは、生きてます! 来られない父の名前―山本達雄―を書いときます。(2017.6.11 娘より)
亡くなったあの日に落涙し、記念館ができたと聞いてから、何年たったでしょうか。ようやく、ようやく、訪れることができました。先生、遅くなってすみませんでした。ようやく来ました。(2017.7.2)
もっと遊びます!! あとサントリーウィスキーを飲みます!(2017.7.14)
44回目のBirthdayに再訪しました。そろそろ、ここ3年半続けてきた日常から卒業できそうです。ここに帰って来た日が、ある意味、元旦とも言える存在です。毎回展示物が変わり、尽きることがないのはすごいことですネ。これからも心の隠れ家として訪れたいと思います。(2017.7.17 H)
杉並からやってきました。孫のましろと裕太と見学に来ました。(2017.7.17 東京・杉並区 Y・M)
茅ヶ崎ゆかりの人はたくさんいるのですね。しかし開高健、こんなカッコイイ作家、なかなかいませんね。(2017.8.11)
四回目の来館です。(2017.9.3 O)
初来訪。「輝ける闇」「オーパ!」等、愛読しました。釣りとタバコと酒と美食。好きだったんだなぁー‼(2017.9.8 E・O)
近く(大磯)にすんでいるのになかなか来られませんでした。念願がかないやっと訪問することができました。すごくよかったです。話されている言葉も一言一言、含蓄のある言葉で、若くして亡くなられたのに、ものすごく老成した感じがいたしました。お友達を連れて、もう一度来たいと思います。(2017.9.15 A・Y)
念願かなってやっと訪れました。私の友人(故人 昭和8年生まれ)が大阪で壽屋に勤めていた頃、よく開高さんのお話をしていたことを思い出しました。その後、作家に転じられ、数々の名作を残されたこと、もう少し長生きして世の移り変わりを書いてもらいたかったことなど、開高さんへの思いを亡き友人に捧げた今日の一日でした。(2017.9.24 N・N)
茅ヶ崎界隈を訪ねる!!ということで、憧れの開高健記念館に来ました。豪快な生き方で、楽しいドキュメントも含めた書き物には、感心して読みました。ありがとう。(2017.9.29 K・H)
すばらしい雰囲気。ありがとうございます。(2017.9.20 東京・中野 M・Y)
私も釣りが大好きで、お酒も飲みます。いつまでも記念館がありつづけてくださるよう。(2017.9.30 千葉市・美浜区 S・S)
そちらの居心地はいかがですか? 「青い月曜日」は何度も読み返しました。(2017.10.14 広島市 H・N)
釣り紀行に感化され、アラスカとアマゾンまで釣りに行きました! 良い作品に巡りあえました。ありがとうございます。(2017.10.21 福岡県 K・T)
開高先生、漸く訪れることができました。先生の数々の一点一点が、煌くような足跡を思い浮かべつつ、漂い(ただ酔い)ます。また必ず伺います。その時はまたよろしくお願い致します。それでは。TOAST 乾杯! (2017.10.28 南足柄市 55歳)
何かの事情があって野外へ出られない私、鳥獣虫魚の話の好きな私、人間や議論に絶望した私……。そんないい歳をした私に対し、あなたの文体は、あれ・これ・それ・何かと私をそそのかす要素があります。だから40年以上も読み続け、複数回、ここ開高健記念館を訪れました。今日もまた訪ねてきました。あなたより一歳年上となりましたが、あなたから学ぶことがまだまだ多い日を楽しみに生きてみます。(2017.11.3 杉並・荻窪 H・A)
とても素敵な人生を歩まれましたね! やはり自我のあり様は自分にしかわからないのかな? 自分をもっとみつめて生きねばと思います。(横浜市 M・H 81歳)
ずっと来たかった場所に来ることができました。息子の名前を開高健さんの一文字「開」をもらい「開介」と名づけました。これからも作品を読みつづけます。(2017.11.5 平塚市 H・S A・S K・S)
ぶっ飛んで静寂。動と静。ここにいて感じるものは、この二つで、それ以外は測り知れない魂の明滅。人間のスケールは身体の大きさではなく、やはりその深さだ。給料日前の釣り人は、しばしここ開高健記念館に滞在す。(2017.11.19 中野区 H 62歳)
2年ぶりに来ました。自分も釣りをしますが、今年は良い釣果がありませんでした。開高先生にパワーをもらい、来年こそ大物をキャッチできれば。(2017.12.2 相模原市 M・N 51歳)
開高忌の前日に、26年住んでいる東京から東海道をゆく感で、ようやく辿り着きました。師匠の仕事場の、筆のエネルギーにひたりました。遊びとリスクに向きあいつつ、アジアの激動についての私なりのレポートを書いてみたいと思います。(2017.12.8 H・T)
先生、やっと来られましたが、寝不足のせいか、居心地がよいのか、眠気が強くて、すみません! お庭の水仙が咲いたころに、シャキッとして出直します。あともう一つ。先生の「白いページ」の、昔の装丁のやつを3冊、トイレに置いて読んでいます。ごめんなさい! トイレで活字を読みたくなるクセがあるのです。先生の本が、子供の頃から家にあって、特にこの「白いページ」は、大人のそして男の世界を、私に教えてくれていたのです。いつの間にかなくしていてのですが、先日ヤフオクで同じ物をみつけて、ほんとうに嬉しいです! 先生の文章、言葉は、今も、昔も、かわらないなあ。艶があって……。これからもよろしくです、先生!(2017.12.9 M・I)
今回で2回目の来館となります。相方は10回目です。また来年来られるよう、元気でいたいと思います。(2017.12.9 J・M)
先ほどのM・I。続きを書かせてください。先生、今日は先生の命日だったのですね。わからずに訪ねてきて……。ご縁なのか……いま、何とも心を動かされています。先生、生まれてきてくれて、小説家になってくれて、書き続けてくれて、ありがとうございます! 寒くてもう書けませんが、あこがれ続けます!(2017.12.9 M・I)
一日遅れで追悼に来ました。無二の親友(物故)といいあったことを思い出して、大切に生きています。彼「大江を読め!」と私に無理強いの議論を吹っ掛けてきましたが、私「いいや、読むべきはカイコーだ!」と。高校生の青い論争でした。あれからもう50年余の年月が経ちました。そろそろ人生の締めくくりが必要になってきました。改めて彼と、ああだ、こうだと、再び話し合えることになるかも。それと、サントリーのビールの発売にあたってモニターを務めて、毎月ビールを送っていただいたことも、懐かしく……。(2017.12.10 T・K 76歳)
大阪出身の釣り好きです。初めて来館させていただきました。ほんのちょっぴり先生に近づけたような気がします。ありがとうございました。来てよかったです。(2017.12.15 H・M)
NYで働くようになって早や2年が経ちました。早ければ来年の夏には、帰国せざるを得ないかもしれません。かの地でお世話になった方々に、先生の言葉を贈りたいと思って参りました。「若きの日に/旅をせずば/老いての日に/何をか、/語る?」この言葉を文字通り座右に置いて、私も異国での月日を過ごしてきました。自分にとっての軸のようなものが先生の言葉です。これからも大切に、残りのアメリカでの日々を頑張ります。帰国したら、またご挨拶に来ます。(2017.12.17 在NY S)
山口から来ました。中学生の時に「フィッシュ・オン」と出会ってから30年来のファンです。いつも想像していた書斎の様子に感動しました。念願かなって、ここの空気を吸えている自分がうれしいです。(2017.12.23 M・F 45歳)